おなまえ Eメール タイトル コメント > かつて私の近い人に、ロックギターを弾く人がいました。仮に以下「師匠」と呼びます。 > > 彼は、云ってみれば極めて「簡素」に、ギターを弾いていました。 > 例えば、一般的なマイナーコード等なんか押さえて弾いた事が無くて、メジャーはどうかというと、 > 人差し指と薬指だけでべたっと押さえる、最も簡単なバレーコードってあるじゃないですか。 > パワーコードの延長みたいな。Cだったら5弦ルートから3555みたいな。あればかり弾いていました。 > で、彼はその押さえ方を6弦ルートにもそのまま適用するので、6弦ルートのコードが全部sus4になっていました。 > (例えば、Gメジャーを弾こうとして、6弦ルートから3555と押さえてしまう。これはGsus4です。 > ちなみに、4弦ルートでこの押さえ方だと、メジャーセブンスですね。面白いですよね) > 自由とはいえ、これはかなり乱暴だと、いつも思っていました。3度や7度、コードの基礎を無視したようで。 > たまに指摘すると「そんな小手先にこだわる奴はアホなんや」と、いつも取り合ってもらえない感じでした。 > でもそんな弾き方でも、曲とかを作ってきて披露するし、音楽趣味は良質なので、そういう意味では師匠なので、 > 単なる正確性を疑うのは止めて一転、師匠には何か超越したものがあるのだな、それがロックの本質なんだろう、 > テクや理論なんか学んだら負けなんやね、という思いを、ある意味そこから培ってきました。 > > 実際「小指が使えないから」とは言ってましたが。その現実的な不可避性は自覚しているということなんですが、 > 「小指が使えないからまともに弾けないけど、誰よりも好きな事には揺ぎ無いし、それが何か?」という > 意思なんだと解釈しました。 > こんな意思というものは、どこに霧散していくのか、そして自分自身は一応小指は使えるにも拘らず、 > 人生のドメスティックな都合上、そっちを信奉してしまった私の記憶も、どこに霧散していくのか、 > あるいは全く意味がないのか、たまに振り返ってしみじみします。 > > もう少し掘り下げてみました。 > 利口な諸兄なら、こう思うでしょう、 > 「小指が使えないなら普通の所謂パワーコード(2つの弦だけで)でルート5度だけで弾けばいいじゃん」と。 > 確かにそうですね。でもそうじゃないんですよね。いわば、これは抵抗、反逆、戦いなんですよね。 > 5弦ルートと6弦ルートで同じフォームで弾けない、こんなもんはギターの一方的な都合であって、 > 「俺」には関係ないわけです。そもそもテクニカル演奏を信奉しているわけでもなく、むしろアンチであるし、 > ギターの一方的な都合自体は糞面白くもなんでもなく、「俺」の好きなロックとは関係ないわけで、 > 6弦ルートで「いらない音」が鳴るのか知らないが、だったらそれを無視すればオールOKだろうという > そういう哲学が生まれると思います。 > > そもそもロックギターなるもの、アンプで音を歪ませ増幅させるほど、余計な音をミュートするという作業に、 > つねに気を配らなければならない構造になっています。これは、ある意味性急に、鳴らしたい音を鳴らしきるべき、 > ロックギターの存在イメージとは相反するものなはずです。いずれこの「存在矛盾」から解放されるべきであるという、 > 本来なら誰もが持つべきこの欲望を、この事例は明確に表している、とも云えます。 > > さらに、利口な諸兄なら、こう思うでしょう、 > 「そういう哲学でいくと、最終的にはノイズ音楽ですよね」と。 > 確かにそうですね。でもそういうジャンルでいっちゃうと、もう科学者とか学者、権威風情なんですよ。 > 彼はこうもよく云ってました「科学者(風情)になったら終わりや」と。 > あくまで調性的で、コマーシャルで明快な「よくあるギターロック」を望まねばならないんですよ。 > 現代音楽まがいの理論武装風情は、糞面白くもなんでもなく、「俺」の好きなロックとは関係ないわけで、 > それは駄目なんですよ。あくまで「よくあるギターロック」を「俺」もやってやろうとして、 > そこで、例えばギターが上手く弾けない等による広義の「失敗」が諸処あり、だがそれは > 「俺」がやっているんだから必然的に失敗もあるだろう、そもそも「やる」事自体が > 大いなる失敗なのかもしれんがそれが何だ?というのが本質なのであって > それを失ったら無意味になるんだ、だからこう弾くんだ、だからあのコマーシャルなヒーローの真似をして、 > あくまでカッコ良く、ギターをじゃらーんとかき鳴らすんだ、そっちが前提で、そして全てなんだ、という、 > そういう哲学も生まれると思います。 > > 一言だけ言わせてください。「青くて良いですよね」 > > しかし今どき巷では「普通にギターが巧い」バンドばかりで。何事も正攻法から学び易い時代になったからですね。 > だからといって、今どきのバンドに「もっと無知に乱暴にやれ」などと、退化的な要求はとても云えませぬ。 > だからこそ、こんな「哲学」は、このまま霧散していくのではないかと、ふと思ったりするのです。 > > > さて今日の1曲ですが、こういう話で選ぶなら、まあARTO LINDSAY だろうなということにしただけですが、 > 「理論を学ばないままどこまでいけるかやってみた」とのことで弾いてますが、まあ単純にスタイリッシュで > カッコイイですよねこの人は。ちょっとカッコ良すぎますね。なので今回の話のイメージとしても違うんですよね。 > Ambitious Lovers Lust > > そういえば、運指の問題で弾けないんだったらオープンチューニングとかにすれば? とも言ってみたけど > それも聞き入れられなかったですね。調弦もひとつの「科学」の範疇になってしまうからですかね。 > というか、例えばストーンズ等が好きでも、変則チューニングをメインに使う人が、日本では比較的少ないですよね。 > これって多分、日本的な何か、の問題だと思うんですよね。設定において標準性を重んじるというかですね。 > そこを崩すと不安というか。なので設定では標準性を崩さずに、結果として崩れる、失敗するならば、 > それが「正しい(日本的な)失敗の仕方」だと思うんですよね。いろんな分野においても。 > そして、失敗を修復するために、さらなる「標準」を欲する感じ。これもまた「正しい(日本的な)循環」のようで。 > これが良いのか悪いのか、今後発展性があるのかも分かりませんが。多分そこまでグローバリストには成れません。では。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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