おなまえ Eメール タイトル コメント > すごく遅れましたがあめおめです。今年もよろしくお願いします。 > > 年明け早々、ベッキー株価SMAP、そしてボウイと、偉い事になってますね。 > 私もいろいろ別件で書いたりしていたことが寸断されたりして、無駄に翻弄されてました。まあ無駄ではないか。 > > ・デヴィッドボウイさん > 合掌。正直私もそこまで彼の音楽を網羅できてませんでしたが、今になって聴きかえして見ると、いかに我々のロック的な概念に通底するものが > 彼によって形成されたのかも、驚くほど掴める感じがします。ポップにおけるマイコーと同じでしょうか。やはり。 > > ミーハー的視野で最も印象にあるのは「戦メリ」なわけですが。語られ尽くされてるはずですが、私なりのニッチな評論でもしてみます。 > この映画、各ミュージシャンの俳優らが、自分らのイメージや素性を持ち寄ってチラつかせているところに肝があります。 > 配役の経緯などには諸説あるらしいですが。戦争映画なのに役者に化粧までさせたのはボウイ側の発想だそうで。それはピンときます。 > メイクをさせ、戦争映画的なリアリティを敢えて排除することにより、映画のテーマにある、戦争により対立する立場における友情について、 > さらにそこには同性愛はあるのかないのかというギリギリのラインを、メイクすることによってまず視覚で恋させることによって、 > 有効に真意を暈すことによって我々をより悩ませる事に成功している、とでも言うか。 > しかも我々は、美貌に恋したのかメイクに恋したのか、或いは彼らの音楽なるものに恋したのかさえ気づけない。恐らく何重にも暈されている。 > これはボウイが、天性の美貌と呼ばれながら、さらにメイクをし、ロック上のコンセプトも含めつまりは「道化」を演じてきたという経験則により > 自然と引き出される感覚と、構築された方法論だった、と考えたい。 > > 美しきものを暈されるのもまたさら美しいという価値を共有できるとしたら、それはこの上ない我々の宝物であるはずで。 > ひいてはこれは日本的な美的情緒研究にも通ずるところがあるので、さすがボウイさん、日本文化も良く洞察してくれていたという意味でも嬉しいわけで。 > > と、ここまで書いていて、あれ昔どっかで読んだはずの内容かな?とは思ってますが勿論思い出せません。ピンとくる文献でもあれば誰か教えてください。 > とにかくありがとうボウイさん。じゃ、今日はこれだけで。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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