おなまえ Eメール タイトル コメント > こんにちわ。久々です。いち3です。 > 日々、いろいろと頑張っています。そうしている、つもりではいます。 > 基本的に、「仕事」なるものは、少なくとも今のこの世においては、 > 親族ではない、他者になにかと施し、影響を与え、その対価を得るものだと考えられます。 > 一方、他者ではない、親族というものには、そもそもが、その他者から得た対価によって、 > 育てたり蓄えたり、施すものであって、つまりは、掛け値なしに関わり、施しをするものなのだろうとは、思います。 > つまるところ、どちらかに比重を置くかを、状況に合わせ、随時、選ばなければいけないのが、この、決して無限ではない、 > 限界ある、この世において、よくあるひとつの、我が人生なのだろう、と、そう思いはしますが。 > > > ・ところで、以前に紹介した、愛用のポタアンなんですが、先月その専用アプリが大幅アプデされたんですが、 > 便利になったものの、ものすごいノイズと音飛びを発生させるバグがあって、アプリストアが炎上してたんですよね。 > まあ10日後ぐらいに早急に直されて、まあほぼ完璧に近い再生アプリとなったわけですが。しかしまあ、 > アプリのバグだけであんなに壊滅的なノイズが鳴るとは、危ういモノなんだなあと思いました。 > 2017年にもなって、たかだか音楽再生が、ままならぬこの感じ。 > > で、我慢できずに(以前に紹介した)イヤホンのTX2を買ってしまったんですが、これとの組み合わせで、予想通り、 > 芳醇といっていい音質で聞き惚れて、これでしばらく快適なリスニング散歩環境が整ったと思っていたんですが、 > やっぱり1週間ぐらいで、耳鳴りと外耳が痛くなる症状が出てしまいまして、またしても愕然としてしまい。 > もう自分の身体は、どうなっているんだろうなと。リスニング散歩といっても、せいぜい2時間から3時間なんですけどね。 > 世の中の、例えばタレントや演奏家、選手の方々などは、こういうイヤホンを付けて、歌って踊ったり、 > はては、スポーツの練習などをしたりしてるじゃないですか、何故大丈夫なんですかと。私と違って。 > やはり身体能力が、私とは根本的に違うんでしょうか。そりゃまあ、優れた身体能力なるものは、 > 耳などの器官もまた、前提として健康を保ちつつ、育成されるほど成功に到るわけで、スタートスペックはそれなりに重要なのでしょう。 > > いや、それにしても落ち込みます。そろそろ、さようなら音楽、今まで世話になった、 > とでも、宣言しないといけないのでしょうか、などとまで、思いあぐねたりしたり。 > 「さようなら音楽」と言ってしまいたいけれど、治癒への期待は、諦められるわけはないですよ。当然ながら「生きる身」としてですね。 > 疲弊した身体について、その治癒の期待についての対策として、社会的に休ませる事と、欲求そのものを諦めて休ませる事とは、 > 一応は分けて考えないといけないとは、思いますがね。この線引きと、感情との天秤としては、とかく難しい。 > > などと、思っていたらば、再度オープンエアー型のイヤホンを常用し始めたら、これがわりと日常的にフィットしているようで、 > 満足し始めました。不思議で御座いますね。TX2を、購入早々に、お払い箱にするのは口惜しいので、一応、日々持ち歩いていたりしますが。 > つまるところ、なにかと「音」なるものは、常に、決断、決定が難しいものでありますね。混乱と常に、日々、隣り合わせのようです。 > > > ・さて、不可解な衆院選が、また始まっていますね。生憎、天候は、雨と台風続きで、これに左右されそうですが。 > 最早、政争なぞに興味が持てなかろうと、今までの経験上、例えば自公のような、安定的な政権が敢えて崩された結果となった時代に限って、 > この国では、震災が起きたりするという、オカルティックな心配、懸念がありますので、とりあえずまた、 > 震災グッズでも準備しておかないといけないか、という残念さはあります。すでに実際に、100均で防振パッドとか買い足しましたが。 > > 各支持層を選別せんとする、よくある政争についてですが、私は、靖国神社に親族が(奉られて)いて、それなりの思い入れが強くあるので、 > この時点でもう自分は、既存の、いわゆるウヨクにもサヨクにも、いつも組する事はできないのですがね。 > > 特に、改憲と護憲、という議題についてですが、こんなつまらぬ話を何故、今さら殊更に実践しようとするのか、現政権にウンザリすると共に、 > 少なくとも、今の議員の連中の顔ぶれをみるに、この連中らによって改憲などはされたくはないな、と正直思いますね。 > > 特に西洋における、教育や法その他の礎である、聖書にすら、改訂、明記などという行為は必要が無かった、 > 或いは、後世がそれをやる事とは、あまりに大それている、と考えられる歴史もあるわけで。、 > > 広義的な平和主義、その象徴として存在している日本国憲法、 > 客観的にみて、平和主義を「信仰」とすれば、その「信仰」は最早、この国のみならず世界的であり、勿論肯定されるべきであるとすれば、 > 一言でいって、平和の信仰には明記は必要ではなく、不可侵として、まだまだ封印しておくべきだ、と思いますがね。 > > この考えをもってすれば、つまるところ、私は既存のリベラル観念を通り越えて、 > スーパーリベラル、いや、ハイパーリベラルとでも、いえるのではないでしょうか。思わず自負してみたりもしました。 > > だけど、いずれにせよ私には現状、政治や思想を、世の中に反映させんとするような「余力」は、無いわけでありまして、精々が、 > 前述の通り、例えば震災を懸念して、私生活上でせめてもの対策を施すぐらいが、私にできる精一杯な事で御座いましょうか。 > > ともあれ、では、またお会いしましょう。またよろしくお願いします。 > > > #やあ坊さま。Dボウイのロウとか、イーノ関連のあのへんは、なかなかきついですよね。ご自愛くださいませ。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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