おなまえ Eメール タイトル コメント > 皆様おひさしぶりです。令和のようですね。 > あっという間に日々過ぎていくので、世の流れについていけなくなりがちです。疲れています。 > > 思い出すのは、昭和天皇崩御の日に、始業式だと間違えて、駅まで行ってしまった事ですかね。 > 駅に着いて、学生が一人もいないので、自分だけ馬鹿みたいに制服着てポツンと駅前で立ち止まり、 > 間違いに気づいてトボトボと帰りました。こんな時でも、自分だけ無関係なしんどい事で失敗するものだな、 > などと、世間から隔絶されるような人生を思いました。 > > 確かに、今年はいろいろありすぎて付いていけない感じですが、やはりピエール瀧氏について語っておくべきですか。 > > まあ、最初思ったのは、自分は長い音楽嗜好の中で、ヤクやる機会なんて無くてよかったなあ、という助かった感じですかね。 > これだけ今も酒タバコをやっている私だから、その手の現場でヤクなんかに触れてただけで、ハマり込んでたかもしれないと思うと > 九死に一生感もありますな。あまり遊びも活動もできなかった消極的な人生が、逆に功を奏した、みたいな。少々情けないですがね。 > > それにしても、我々前後の世代は、この瀧というキャラクターを何度も、一種の指針としていた歴史はあると思います。 > なにかと、瀧はここまでやった、みたいなネタを持ち出していたような気がします。ある意味逆にパンクだわ、みたいな。 > なんかこういう形で、音楽外の大衆文化にまで侵食していく手段、とでもいうんですか。ここまでやってもいいのか、みたいな。 > 後はまあ、50過ぎてもこういうスタンスでいてもいい、これもひとつのポジション確立だな、みたいな指針も。 > そこを享受してきた感覚に対しては、それをヤクやってたってだけで無条件的に一括清算をするのは、どうも口惜しい。 > 私なんかより世の中の人らが、もっと口惜しい、と思うべきではなかろうか。そうでないと心許ない。 > > まあ私の場合は、テクノやハウスみたいなものに一種の距離を置いていて、ハマりきるのは遅かったわけで、 > 例えばボーンスリッピー全盛期なんかの時点でもまだ、あんなもんがロックに取って代わるのは、なんかまだ違うだろと、ひっそりと、 > 思っていたタチでした。遡ればマッドチェスターみたいなのも、分かるけど、どうも違うなあ、と一抹の疑義を拭えないタチでもありました。 > ようは、ヤクがらみのレイブ的な着地点には、当初から自分にある、根本的ビジョンとはどうも違う、と思っていたから、 > ハマらなくて済んだかもしれないですね。逆にいうと、たったそれだけが分岐点だった、のかもしれないなと。 > まあギターですかね。新旧や流行問わず、いろんなギターを弾いてみたかっただけが理由かもしれない。 > あとビートもかな。もっと分かりにくいビートを探すのも好きだったと。考えてみればハウスの4つ打ちというのは、 > 「多数」への歩み寄り手段そのものだと。私に「歩み寄り」が足りないのなら、原因はそもそもハウスがそこまで好きじゃなかったからか。 > > そんな事まで、今なおいろいろ気づかせてくれる、瀧でした。そんなわけで、ではまた。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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