おなまえ Eメール タイトル コメント > エレカシ宮本さんが、この時期には定番である、この曲を歌うCMが流れるそうです。 > 昔、エレカシの濃いめのファンだった私ですが、そういえばちょうど30年前ぐらいに、 > エレカシがとてつもなくコミカルなバンドになって、世間に大人気になっているビジョンを観つつ、 > はっ!夢か… と布団から飛び起きた事を、なぜか覚えてるんですが、 > まるで、そんな夢が現実になったような時代なのかなと、しみじみします。 > それにしても、夢が現実になる、という頃には実際、自分も世の中も、 > こうも変わってしまうものなんだろうな、というしみじみ感も、同時横溢しますがね。 > > さて、今年までにどうしても書いてみたかったトピックがありまして。 > 遠藤ミチロウさんの死去なんですね。ちょうど令和の時代が始まった初日に、 > 訃報があって、驚いたんですけどね。 > 「パンクとは何なのか」というのは、我々にとってもロックの大きな命題のひとつだと思いますが、 > 日本文化において、そこにひとつの表現を残した人だと思うんですよね。 > 彼の表現も、かなり人を選ぶものだとは思いますが、もし彼が存在しなければ、 > 日本のパンクがもし、単に、UKUSパンクをいかにカッコ良く模倣するか、だけの事が > スタンダードになっていたら、きっと味気の無いものになっていただろうなと、思うんですよね。 > > 彼と同年代の、押井守氏の語るところによれば、おそらくシラケ世代の最初らしくて、 > だから結局は、自分が熱をあげた新左翼的なものに参戦できる機会を時代の流れ的に失ったので、 > 何か別の事を自発的に探して熱量をぶつけんとした、そんな画策をこじらせた結果が、 > あのように、新左翼的活動的なものを俯瞰的にパロったような表現に繋がったのかな、 > と推測できるんですよね。そんな事はまったく知らずに、我々世代は中高時代に受け取っていたわけですが。 > まあそういう無知なままの時代のズレの連鎖も、まあパンク的であって、面白いわけです。 > > そもそも、何故我々は邦ロックを聴くのか、というのもひとつの疑問で。 > おそらく、「つきつけられるから」ですよね。この国というか、この街に、 > あのような表現がある、あってもいいんだ、という事を、身近的な感覚に突き付けられる、 > ダイレクトな感覚を求めていたのだと思えます。邦画とかにも、きっとそれが言えますね。 > > まあ、ひとつ思うのは、私ももし地方でなく都内にでも住んで育っていたなら、 > パンクにはそこまでハマらなかったんじゃないかな、とも思いますけどね。当時の空気を鑑みるに。 > そのうちオザケンみたいに「ビートパンク知能指数」なんて言いながら、馬鹿にしていたかもしんないし。 > > ビデオスターリンなどという、再結成の意味かもよく分からない、いかにもこじらせたような企画のバンドで > ライブをやった時に地方都市に駆け付け、最前列で煽っていたら、顔面に思い切り唾をぶっかけられました。 > しかし、ああ、これこそがが自由だな、という気持ちになって、たまらなく気持ちがよかったなと。 > こんな肉踊るようなライブも、きっと自分にとっては最初で最後の経験なんだろうなと、思い出しました。 > > ああ、書けました。よかったです。ではまた。いつか。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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