おなまえ Eメール タイトル コメント > いち3でございます。皆様お元気ですか。定期ですみません。 > > そろそろマスクをしなくてもいいのでは、と最近世の中で盛り上げ始めてますが、 > 私はマスク生活のおかげで、長年悩ましかった持病の発生率がかなり減った、という > 棚ぼた的なメリットを手に入れました。始まると顔面が10日間ぐらい腫れるという困ったやつなんですがね。 > なので個人的にマスクを手放したくありません。このまま私だけが数年後もマスクを付け続け、 > そのうち社会的に周りからも浮く存在になるかも、という妙な未来像が見え始めています。 > まあ今すでに浮いているはずなので、そもそもどうしようもない自覚もありますが。 > > > 今日は映画『花束みたいな恋をした』を遅ればせながら観たので、その感想でも書きます。辛辣に。 > まずは、菊池の夜電波をこんな若い子らが聴いてたらおかしいだろ、とか > とりあえず思いました。あと、じゃんけんのパーがグーに勝つのはおかしいってのは > 以前に私の例の師匠も言ってたので、なんか元ネタがあるのかが知りたいわ、とか思ったりしました。 > おしなべて、これら項目の並びで所謂サブカルのカップルみたいに定義するのは無理あるだろ、とか。 > 何より、彼らの恋愛を崩すべく、象徴的に周囲で死ぬ件が3件も用意されてるのも、ある種の懐古的あざとさ、 > 言ってみればロキノンらしいな、とか思いましたけどね。カートコバーンじゃあるまいし。的な。 > > もっと別に誰も死なずとも空気的に崩れていったほうが繊細でリアルで良いんじゃないっすか?みたいな。 > 就職で忙殺なんかよりも、例えばネット活動家みたいなほうへハマってパートナーが呆れて崩壊のほうが > 寧ろリアリティがあると思えるのが現実の今の文化の謎、小説よりも奇なりなんだよなと思ったりね。 > 今どきは活動家やっててもべつに死にもしないようだし。ウヨパヨなどとSNS相手透視絡みガス抜き空虚。 > 活動家の頭に「ネト」って名付くだけで死なないで済む、みたいなね。どうせ今はそういう文化。 > 以上です。辛辣だったらすみません。ていうか後半は当作品と関係ない老婆心的展望です。わざとです。 > > 続けて『愛がなんだ』という映画を観て、これが妙に良かったので救われた感じになれました。 > たいして何も起こらないストーリーのわりに、全員のキャラががっつりと立っていて皆なにやら愛おしく、 > みんなそれなりに寂しいもんなのかな、的な共有感があって。終始画面にツッコミつつしみじみ観ました。 > > 他にもいろいろ特に批評すべきものでもなかった邦画もこの際結構観ましたが。 > とりあえずここ5年ぐらいはこういう感じの邦画文化があったのか、と娑婆に戻ったような個人的心地です。 > まあできればもっと映画を観ていきたいものですね。ではまた。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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