おなまえ Eメール タイトル コメント > こんにちわ。いち3です。こーんにーちわー、という、錦鯉さんの冒頭ギャグを日常的に観るようになりました。 > あれを観るたび、妙にシンパシーが湧く昨今です。 > > まずは冒頭に。私には安倍暗殺事件の考察において、まあこうしてひとつの誤算がありました。 > 山上事件が、統一こそを真の敵だと見極めての執念的な犯行だったということが、殊の外、大衆に評価され、 > ここまで報道ラッシュ、社会問題に発展することまでを、予測はできませんでした。 > > 山上氏という、いわばやや孤独ないち国民により、自作ピストルという、昔でいえば竹槍に匹敵するような武器で、 > 暗殺が成された末、どなたかの表現で云う「自称保守系の根腐れ」を浮き彫りにさせる連日を作るに至った、 > 稀なる歴史的現場に対峙している時代を、僕たちは歩んでいるはずです。 > しかるに今後、僕を含め、この国の大衆はどうこれを醸成するのか、という問題も。 > > 歴代最年長にまで続いた、安倍政権とかそれに基づく「熱狂」について、 > 裏でそのベースとなるものが「統一」だったという衝撃。衝撃であるはずなのだけれども、 > 我々はそれをも、一種の自虐的ネタとして、例えばネット上のガス抜き的な他愛もない、ウヨサヨ系のバトル上において、 > 例えば粘着質なネトウヨ的な相手に、日夜パヨクだなんだとくだらないワードだけで反レスをされる煩わしい事象に対して、 > 今は「壺ウヨ」というワードでもって鸚鵡返し的に対抗できるようになった。そのプロレス的な、すすんで自分らをも戯画化する、 > それが寧ろ爽快である、という流れに乗りそこに陥ってもべつにいい、今日がそこそこガス抜きであればいい、 > などという、その手法にこのネタを使ってしまおう、これこそが「日本の文化」ではないのか、という境地。 > そんな境地でもって結論づけてみました。 > だって終戦後だって、ころっと次の日からは忍者のごとくギブミーチョコ的な文化に乗り換えたわけですからね。 > ある意味現金ですわ、って感じで。そもそも右翼的な根本はおそらく誰も信じていないはずなわけです、 > だって確固としたものは本来あるようでないのだから、という暴きも含めて。 > > それにしても、僕も違わず年老いていきました。僕は今まで、所謂重大犯罪について、その当事者のことを、 > その度に心底評論してきましたが、数年前の植松と白石、あの2人の犯罪あたりから、正直良く分からなくなりました。 > なんというか、ある意味ドラッグ的な作用による変貌と勢いだけによっても、それらはできでしまうのではないか、という、 > 不可逆的、分析不能な文化的フェーズの変容に気づいたせいです。つまりは、所謂「心の闇」的な解釈も最早無効というか、 > 僕もさすがに歳を食ってしまったものだな、歳を食うというのは、「無効」を受容しないといけないか、と嘆いていたわけですが、 > そこに不意に訪れた山上事件は、それに比して、完全なるドメスティックな「恨み」をもって、 > 焦点を定め、やったわけだから、ある意味で赤穂浪士的とでもいってしまえるぐらいに、 > 文化的フェーズの変容を飛び越え、具現化したものだったのではないかと、正直驚愕しました。 > 「対宗教」という意味では、オウム事件のような信仰に「熱狂した」経緯のものではなく、むしろその逆なわけでもあり。 > > ところで僕は、宗教については、母がカトリックだった事で、カトリック系の中高に行かされて、 > 昔語ったように大変な10代を過ごしたり、そもそも土日をミサに行くという頻繁な義務があって、 > 週末を辛気臭いミサのためにレジャー的に楽しまなかったり、クリスマスなんかも、ミサが正義的であり、 > JRCM的な、恋人なんかと一夜を過ごすなんて世俗的な流行に乗るのは、以ての外だ、というような概念も、 > わりと押し付けられたりと、そんな事を咀嚼しながらの半生で育ち、そのおかげで良くも悪くも、 > 宗教というそのものを、つねに懐疑しながらも皮肉的に口元歪めて、各イベントには参加するという、 > 自分の観念を醸成しました。そのせいで、例えば今回の統一関連、その信仰性がもたらす各事態についても、 > 客観的ながら、皮肉をもって、ある意味攻撃的に批判をする事ができるように育った、という面もあるにはあります。 > でもそれは恐らく、嬉しくも悲しくもない事なのでしょう、そこは自分にも決定できません。 > だからヘラヘラと笑うのです。いくら外野の諸々どもに、ヘラヘラしていると腹を立てられても笑っている事に、 > 意義があるとすら思える半生でありました。この態度を外野は「冷笑」などと誤解しがちなようでしたが、 > 寧ろ逆であることを、大衆はこの事件を期にようやく学習できたりはしないでしょうか。ではまた。 > > > >フリューさま > よく分かります。私の場合は10代の頃、旧友(例の師匠)に「いい加減バカパンクはやめろ」などと暴言的説教された事を、 > ヘラヘラ笑いながらも受容したのが、ROをちゃんと読んでみたきっかけであり、いわば出発点がそこといってもよくて。 > それまでは、シド・ヴィシャスが自分の腕に注射してる絵のTシャツとかを破って着たりしてた人でした。 > ロキノンが私を馬鹿にしてるという被害意識よりも、ROが自分の初期的概念をさてどこまで塗り替えてくれるのやら、 > と多少期待しながらも、結局はそこまで塗り替えてくれなかったな、という残念感のほうが大きいかも、ですね。 > またこれはこれで「冷笑」をしたくなる回想を作っているだろうから、まあそれぞれ謎要素が残っているわけかなと。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
- SUN BOARD -