おなまえ Eメール タイトル コメント > いち3です。クリスマスが来ました。巷の皆様方は浮かれたり湧いたりしています。 > 私なんてのは、特に最近は連日、表参道を母の通院やリハビリの送迎をやっています。 > たとえば表参道を代々木上原方向に抜ける時に、神宮前交差点、所謂ラフォーレの交差点でいつも渋滞しますが、 > その渋滞で止められた時によく右手に「マリメッコ」という看板が見えますが、ちょうど見える場所で止まったらまだマシ、まだ見えない地点ならば > たいてい交差点でマゴついてる車がまたいるんだな、と凹むという。これを個人的にマリメッコ基準と呼んでいます。つまるところは、こんな事例一つとっても、 > この時期皆様方が表参道のイルミネーションにつられて赴いていてさらに混むんですが、その方々の光景と、私のしがない人生との落差が浮き彫りになるんです。 > > 表参道はいつも皆様方が、目を輝かせたデートの男女が歩いてたり、あるいは一人で、がんばって思い切って攻めたような服装をして歩いております。 > それをぼーっと眺めながらラフォーレ交差点の赤信号をいつも待っているのが私です。たまに、あの女の子、あんなアホな服着てどこ行くんや、とか、 > 寒いのにあんな足出してアホやなあ、などと、母が後部座席からつぶやき、たいていそれをスルーしながら運転送迎しています。まあ、返答したところで、 > 耳が遠いため5回は同じこと最終的に大声で言わないといけなくて、伝わったとしても特に理解もされないと徒労に終わるのが見えてるからですが。 > あの表参道のイルミが点灯している時に車を走らせると、もう15年ぐらいこれを観てる、まあ確かに今年もキレイですが、けど、こちらの人生ときたら、いつも > クリスマスのレジャーとは無縁な急ぎの用事でここを走っているだけだな、今年もまた去年より面倒な事態になっただけだったなという、年末のしみじみさがあります。 > > > では本題で、クリスマスということで、また宗教の話でも書きます。最近は年齢のせいか、めっきり昔の事を思い出します。夢でもバンバン出てきてうなされますし。 > > 私は中高の六年制で、カトリック系の全寮制学校に行かされたわけです。宗教の理由もありますが、母によれば > 父が亡くなったため、とにかく自分一人で男子を育てる自信がなかったから全寮制男子校に、という今となれば直感的すぎる理由もあったとかですが、 > 小学生の私には、それを咎める能力もありませんで、言われるがままに進学しただけではありますが。 > > で、その学校でとにかく優しい友がいました。修道院という枠で入学していたY君で、毎学年に2人いるうちの1人でした。 > 彼らはクラスは日々一緒だけど、生活は別の、重要文化財レベルの旧い建物で、修道院生として隠遁的な生活をさせられていました。 > そんな立場を別にしても、とにかく優しい子で、真逆である、地域的に単身のヨソ者で、浮いた私の存在も優しく受けとめてくれていたというか、 > 時に虐めに近い事があってもぐっとこらえるか、ユーモアでやり過ごせるような能力がありまして、いつしか特に仲良くなっていました。 > > そんな折、15歳を過ぎた頃でしたか、私がパンク系に急にハマり、自主制作盤なども含め、なんといういかがわしいレコードを > 買い集め始めたものの、そもそも聴けるシステムがない、寮内ではいつしか音楽(再生)が禁止となり、各自でウォークマンをこっそり所有して > カセットテープで聴くしかないという、馬鹿すぎる無体なルールを押し付けられていて、さてどうするかという環境で。 > そこでY君は、修道院にはレコードをテープにダビングできる環境(いわゆるステレオデッキ)があるから、そこで録ってあげるという、救いをくれまして。 > レコードを買ってはY君に渡して、ダビングしてもらうという(共犯)関係がしばらく続きました。ところが私があまりに「パンクすぎる」 > レコードばかり渡すもので「また頭のおかしなレコードば持ってきたばい!」とか毎度ツッコまれるようになり、 > そこもまたひとつのユーモアを生んでました。例えばハードコアパンクのBPMのサウンドなんて当時はあまり認識がなかったもので、 > 45回転のレコードを33回転でダビングしてきたとか。そのユーモア性がなんとなく私にとっては微笑ましいものとなり、 > もっとさらにY君がびっくりするようなレコードを持っていこうというような意識まで醸成していきました。 > 例えばあぶらだこの青盤とか、ギズムの中曽根とレーガンが殴り合ってるジャケの盤とか。果てはハナタラシみたいなノイズ系とか。 > > いってみれば、そういう行為が、この寮内の無体なシステム、彼の被る修道院というシステム、ひいてはその原点的な宗教制度、 > そういうものを、私のちいさな活動、たかが変なレコードを修道院に持ちこませるという活動が、新しい角度からぶっ壊せているのではないか、 > という私の自負があった気もします。つまりは、私としてはまさにそれこそを初期衝動として、今までを生きていたのかも、とも思えたり、 > Y君と出会っていなければ、私はその後もロックなんていうものに傾倒していなかったとすら思えます。 > > ちなみにY君は「トーキング・ヘッズとユーリズミックスが良か」と言ってました。当時でいえばトーキング・ヘッズなんかも、 > トゥルー・ストーリーズとかなわけで、いってみればニューウェイヴという波長が徐々に流行からの強制スタイリッシュ的に、 > あの宮台氏も語っていた「洒落からオシャレ(じゃないと恥だ)になっていく強迫的な変容」とでもいうような、トーキング・ヘッズですら > わりと強迫的に棘を裏に潜めていった時代だったと、今になって批評もできますが、それとの対比としても同時代的にはほのぼのします。 > > ともかく、惜しむらくは、Y君がその後どうしているのか、という事で。 > 順調にいったのならば、年齢的にも司祭、神父になっていてもおかしくないのですが、そういう検索にもヒットしない。とすると、 > Y君は、いつしかこんな教育を受けた道は間違っていたのだと思ったりして、ドロップアウトしたんだろうか、という思いがあり。 > > エロ雑誌ひとつも持ち込むことすら許されなかった、あの修道院生活を、10代で続けて、それでも優しさをつねに纏いつつ、 > ある意味エロにも貪欲だったはずの私のパンクなレコードを受け入れてくれていたY君。どれだけの後悔と喪失感を抱えているのだろうか。 > ひいては私がドロップアウトのきっかけを与えてしまったのかもしれない。それは良き事だったのか悪き事だったのか。 > > こんな私の話は、それ以降会った人には、誰も通じなかったし、ロケンロール、音楽とは関係のない事として世の中は回っているし、 > クリスマスのケーキという、いってみれば多量の油と砂糖の混ぜ物が、ちっとも美味しくない日々があります。だが私にはずっとあります。 > それだけです。ただそれだけ、ということを誰でもいいから噛み締めてください。わかる人だけでもいいから。心に留めてください。 > ようは、誰かレトリックに優れている人が、こんなことをロケンロールとちゃんと結びつけて書いてくれたら幸いです。ではまた。メリクリ。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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