おなまえ Eメール タイトル コメント > お久しぶりですいち3です。なんかあれですね、今年になってから追悼ばっかりやってた気がしますね。 > そんな中、私は私で、将来不安みたいなものでもう頭おかしくなっちゃって、 > 泥酔して早朝の近所で全裸で暴れる、ぐらいのことをやっちゃってるようです。厳密には全裸というのは嘘ですが、 > まあそのぐらいに恥で迷惑なことは増えてきています。もう昔の僕ではなくなってしまいました。 > おれ、こんなんじゃなかったのになあ、などと、便器に鎮座しながら人生を振り返りつつ反省しています。でも起死回生の方法もよくわかりません。 > 思えば自分が若い頃、「こんなことやっちゃった」などと、酒その他の醜態などをやってしまったのを軽々しく語る中高年のおっさんらについて、 > この人らはせっかく長く生きてきて、なんでこんなことになるのか、根本的に大丈夫か、などと揶揄していたものですが、 > 今はその気持ちを痛感できるほどに。なんというか、絶対的な体力気力の衰退を実感するとともに、何か脳のプログラムが書き換えられてしまうというか、 > なんかそんな感じです。夢も希望もないわ、的な。嫌ですが、みんな加齢的不可避的にこうだとすれば、どうしてるんでしょうかね? > みんな隠したいのか、うちに秘めたいのか、自分で認めたくないのか知りませんが、あんまり教えてもらえません。匿名のネット上ですら。 > 例えば松本人志的に、むしろ中年から筋トレみたいなのを始めたりする人も最近流行りじゃないですか。私も真似とはいわないけれども、 > 筋トレを始めてみたら、あれって終了後すぐに身体がタンパク質を求めるので、プロテインゼリーや胸肉などを急いで貪っていると、 > 通風みたいな症状が出たり、あげくに頸椎ヘルニアっぽい痛みが出てこれはもう半年ぐらい毎日悩まされる事に。 > なんかそんな事態だけで「おまえにはそれは無理なんだよ」と、神に告げられているようで、そこそこにしかできません。まあある意味快楽があるのでやりますが。 > > 前置きが長くなりました。追悼の話です。 > まず高橋幸宏さんでした。まず僕の偏見的にいえるのは、これだけお世話にはなっているはずなのに何やらふわっとした存在であり続けた感じで、 > 私の例の師匠も言ってましたが、そもそもブライアン・フェリー発祥的なUKNWAOR的なものが我々にとってはふわっとした存在であったはずなので、 > そこを踏襲している高橋氏の音楽性もふわっとしているのは当然の印象だ、というのには同感しました。 > そもそもロキシー・ミュージックがそこまで日本で信奉された事例なんて無いはずだし、あのデビシルのJAPANだって、センセーショナル性で火がついたものの、 > その音楽性については引き継がれる例も特になかったはずだし、まったく日本の皆さんも無理しないでほしいですが。 > 初期の思い出として、彼のドラムについては、私が中1の頃にすでに、私が住んでいた、例の間違った教育をやっていた学校の寮内にて、同級生や上級生が、 > 布団の上にジャンプやマガジンという雑誌を8冊ぐらい並べて「これが幸宏の16ビートだ!」とかほざきながらパタパタとスティックで叩いて、 > 適当なくせにアホっぽく披露していた思い出があります。つまりは中学生も憧れるカッコいいドラム、という謎の人気アスリート性を確立していたというか。 > 私が純粋に感覚的に、当時のヒット曲の中でこのドラムは特異的ですごいはず、と思ったのはポリスのスチュワート・コープランドなので、 > ドラム自体に価値観を得るのは中3ぐらいなわけですが、幸宏さんはそのスチュワート・コープランドの奏法も分析していたのでまあすごかったのでしょう。 > > そして坂本龍一さんなわけですが。 > まず僕の偏見的にいえるのは、なんで彼の音楽はこんなに色っぽいのか、この色っぽさを入手するにはどうすればいいんだろうか、 > などと長年思っていました。ジャズ手法でいうところのリハモやスーパーインポーズに類するものを的確に決めてくる楽曲群なので、彼がいう、 > 感覚的に作曲しているだけだ、というのは多分嘘でしょう。その嘘で固める感じが最終的にセクシーになるのか、そんな気もしました。 > そんな風に、かなり楽理的に分析してみた事もありましたが、私も研究への根気がそこまでない性分なのでかなり忘れちゃいましたが。 > 例の映画音楽2曲についても例えば冨田勲の新日本紀行に似てるという指摘もありますが、結局はセクシーさという価値において、 > 元ネタを超えていますし、例えば矢野顕子の音楽なんて手法やセンス的には類推するものがありますが、彼女はいつも最終的に、 > 大らかなイメージで楽曲を仕上げてしまうので、セクシーよりも自由さのほうが上に来ます。つまりはそれよりもセクシーを前に出すためには、 > 何らかの自家的抑制性が必要なんですかね。この抑制性って、単なる作曲法のみならずそれなりの性格が要るでしょうね。 > そんな疑念を抱きながら事あるごとに彼らを観つつも、ともあれろくに私の解読も待たぬまま彼らは逝ってしまいました。合掌。 > > あとは鮎川誠さんですね。彼はとにかく純粋自発的な和製ロックンロールとして、もう出で立ちがかっこよかったですね。 > ブルースにヤラれてしまったところからロックを始めつつも、ニューウェーヴ時代のアイコンにもがっつりハマれたのは、とにかくカッコいいからでしょう。 > ウィルコ・ジョンソンが何度も蘇りつつも、逝ってしまった後を追うような時期になってしまったのも、天性のストーリーを感じてしまいます。 > > 結論としては、とにかく彼らに比べてどうしようもなく僕は凡人って事ですかね。 > 僕のロックとは、とくに90年代以降は、こんな才能も体力もかっこよさも何もない不運な僕みたいなのでも、ロックをやってもいいだろう、 > というやけくその気力だけに沿うものを、珍重していたはず、という思い出はあります。オルタナ定義を待たずしてそういう希求で生きていました。 > つまりは前述の彼らはあくまで、優秀すぎる上の世代の偉人であって、僕には関係ないはずだ、と言いたかった思い出もあります。 > 彼らだってそうでしょ、そこまで先人をリスペクトありきの活動ではなかったはずで、むしろ過去を塗り替えたいほうの方向でのしあがっていたはずで。 > そもそも今のアラフィフ世代って、いつまでも先人リスペクトばかりを盾にして生きてきたようで、いってみれば終末論のはじまりだったんですよ、こんなもん。 > 自分の世代を予め諦めて生きてただけというかね。痛感します。そこの違和感はまだ心に留めおいた上で語ってみたまでです。ではまた。 参照先 削除キー (英数字で8文字以内) クッキー保存
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