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 雑記in'on  (旧talkin'bout RO)
   
roのこととか音楽のこととか、その辺いろいろ
                                                 

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 ジャニーズ問題について
538   2023/08/13(Sun) 15:10
いち3  

おひさしぶりです、いち3です。4ヶ月ぶりぐらいでしょうか。
じゃあ今日は、例のジャニ騒動について書いてみます。被害者の方々への尊重と支持をしたいとともに、この件だけにとどまらず、
猿之助さんの事件、りゅうちぇるさんの事件、斬首の事件、山達さんのあの弁明、日大、このところの事件や騒動が、
私の経験上からは流れ的にすべて関連しているように思え、次々と身にしみた次第です。そういう感じで書くに至ります。

まあ私にも中高時代に、同様な経験はありましてね。中3ぐらいの頃でしたか、突如まるでジャニさんそのもののような性質の、
英語教師が赴任してきましてね。小柄な60歳ぐらいなのに妙に小粋で、欧米風スタイルをアピールする感じというキャラというかね。
で、男子の好みはわりと明確で、まあ中性的な印象をもつジャニ的なタイプを好んでいましたかね。つまり私は違いますが。
彼は、授業中でも、好みの生徒をかわいいかわいい、と明言して、露骨に依怙贔屓したりして、結構公然な振る舞いで。
時に希少クラシックカーに乗ってきて見せびらかしたりして、アピールぶりはまるでディスチャーミングマンの歌詞のようでもあり。

ともかく1クラスごとに1人は「お気に入り男子」がいたようで。ちなみに同級の中で一番その教師にかわいいと言われていた奴は、
今どうしてるのかとググったら、精神科医になっているようで、おお、というか、結局はあんな刃をどのようなスタンスで交わしたか、
ある意味そんな経験をスキルに生かすが末の精神科医への道もあるのかな、などと邪推したりもしましたが。

ともかく、その教師に見初められていた一級下の生徒がいたわけですが、ある時に私の同級のKという奴の提案で、
その男子を囮、美人局的に使って、その教師の性癖を暴いてやろうという作戦が行われました。
で、狙い通りに寮内の夜に、その教師がその男子を連れ込んで局部を舐めだしたのを、窓から撮影するのにも成功したようで。
それを暴露することで、その教師は解雇されました。しかし、これをめでたし、と思うのは早計で、ここに正義はありません。

そもそもこのKという奴が、ろくでもない奴で。下級生をこんな計画に使う事自体がろくでもないと理知的にみれば分かるでしょうが。
Kはおそらくバイセクシャルの性質で、寮内で暴れまわっていた奴でした。他校にまで行って女子への多人数プレイに参加してきた、
なとと豪語することもあれば、複数男子に対しての性被害も繰り返していた奴です。ともかくKの陰茎が、成人の腕のような
太さと巨大さで、その巨大さも見せびらかして他者を威圧するというか、まさにエラー的な性欲怪物のごとき印象でしたかね。
そのわりには肛門にも挿入してほしいという、バイな要求も強要していましたね。ようは怪獣ですかね。◯ウンディではないですが。

こいつが日本のあの島の出身だということで、あの島出身者への偏見も私に定着化させたぐらいのキャラでしたね。
Kの親が、島にて流浪な層も含めあらゆる客を手なづける飲食業をやっていて、そういう口達者なスキルをKも持っていたために、
寮を管理する自衛隊キャリア出身の職員らも、そういうのには弱いのか、たぶらかすようなKの話術に手なづけられていたために、
つねに何が事実で善なのかが無茶苦茶な現場になっていました。あげくにKは一度も処罰を受けずに卒業したはずです。はい。

まあ、べつに寮内でこのKだけが怪物だけじゃなかったわけで、Sという奴は親が代々警察庁関係の特殊な仕事を担っていたくせに、
寮内ではやたらと暴れたり、精神異常レベルのいじめがすごくて、最終的に勇気を持った被害者ひとりのおかげで暴露され、
停学されると共にその両親が学校と寮に呼ばれて詰問されることになったものの、その両親もが言動がどうも根本的におかしく、
教育的な断罪が有耶無耶になってしまうぐらいだったけれども、おそらく警察庁にとってはそういう家系だからこそ担える仕事なんだ、
とでもいう任務的性格をSも継いでいるのだろうか、というどうにもならない経験もしました。ちなみSの陰茎は小さかったですが。
つまりは日本国の警察保安体制だって、こんな歪みを抱えながら打算的に成り立っているだけだろうと、私に観念化されました。

んー、結局んとこの結論としてはなんでしょう。私は中高時代にすでにこういう人間性、まだ書ききれないものを諸々みてきたので、
警察、防衛なんかも、中にはこんなあやうい関係性があるのだから、それに表面的にうすっぺらく正義的期待をする大衆について、
君たちはお気楽でいいよな、などと尖った見方をせざるを得ませんでしたし。尖ってましたね。でも私は基本優しいですが。
ジャニ被害者らに対して、例えば私ですらこのぐらいの体験はしてきたし、それをあえて繊細に捉えて凹まないように、
芸人的にネタ化したり気をそらしてヘラヘラ生きてきたし、君らもそう生きれば?などというのもある意味酷いわけだし、
そういう意味でも狭間で揺れますね。どっちに転んでみても揺れるわけでしょうね。総じてなんか寂しいです。今日も。
しかし何時かしら、私はこんな環境下で、パンクロックこそが狂気のようで正気なんだ、という脳だけで乗り切って生きていました。

そんなわけなので、じゃあ皆さんもロッキンなお盆をお過ごしください。では。


[返信]

 イースター(復活と茹で玉子と僕と)
537   2023/04/16(Sun) 10:22
いち3  

お久しぶりですいち3です。なんかあれですね、今年になってから追悼ばっかりやってた気がしますね。
そんな中、私は私で、将来不安みたいなものでもう頭おかしくなっちゃって、
泥酔して早朝の近所で全裸で暴れる、ぐらいのことをやっちゃってるようです。厳密には全裸というのは嘘ですが、
まあそのぐらいに恥で迷惑なことは増えてきています。もう昔の僕ではなくなってしまいました。
おれ、こんなんじゃなかったのになあ、などと、便器に鎮座しながら人生を振り返りつつ反省しています。でも起死回生の方法もよくわかりません。
思えば自分が若い頃、「こんなことやっちゃった」などと、酒その他の醜態などをやってしまったのを軽々しく語る中高年のおっさんらについて、
この人らはせっかく長く生きてきて、なんでこんなことになるのか、根本的に大丈夫か、などと揶揄していたものですが、
今はその気持ちを痛感できるほどに。なんというか、絶対的な体力気力の衰退を実感するとともに、何か脳のプログラムが書き換えられてしまうというか、
なんかそんな感じです。夢も希望もないわ、的な。嫌ですが、みんな加齢的不可避的にこうだとすれば、どうしてるんでしょうかね?
みんな隠したいのか、うちに秘めたいのか、自分で認めたくないのか知りませんが、あんまり教えてもらえません。匿名のネット上ですら。
例えば松本人志的に、むしろ中年から筋トレみたいなのを始めたりする人も最近流行りじゃないですか。私も真似とはいわないけれども、
筋トレを始めてみたら、あれって終了後すぐに身体がタンパク質を求めるので、プロテインゼリーや胸肉などを急いで貪っていると、
通風みたいな症状が出たり、あげくに頸椎ヘルニアっぽい痛みが出てこれはもう半年ぐらい毎日悩まされる事に。
なんかそんな事態だけで「おまえにはそれは無理なんだよ」と、神に告げられているようで、そこそこにしかできません。まあある意味快楽があるのでやりますが。

前置きが長くなりました。追悼の話です。
まず高橋幸宏さんでした。まず僕の偏見的にいえるのは、これだけお世話にはなっているはずなのに何やらふわっとした存在であり続けた感じで、
私の例の師匠も言ってましたが、そもそもブライアン・フェリー発祥的なUKNWAOR的なものが我々にとってはふわっとした存在であったはずなので、
そこを踏襲している高橋氏の音楽性もふわっとしているのは当然の印象だ、というのには同感しました。
そもそもロキシー・ミュージックがそこまで日本で信奉された事例なんて無いはずだし、あのデビシルのJAPANだって、センセーショナル性で火がついたものの、
その音楽性については引き継がれる例も特になかったはずだし、まったく日本の皆さんも無理しないでほしいですが。
初期の思い出として、彼のドラムについては、私が中1の頃にすでに、私が住んでいた、例の間違った教育をやっていた学校の寮内にて、同級生や上級生が、
布団の上にジャンプやマガジンという雑誌を8冊ぐらい並べて「これが幸宏の16ビートだ!」とかほざきながらパタパタとスティックで叩いて、
適当なくせにアホっぽく披露していた思い出があります。つまりは中学生も憧れるカッコいいドラム、という謎の人気アスリート性を確立していたというか。
私が純粋に感覚的に、当時のヒット曲の中でこのドラムは特異的ですごいはず、と思ったのはポリスのスチュワート・コープランドなので、
ドラム自体に価値観を得るのは中3ぐらいなわけですが、幸宏さんはそのスチュワート・コープランドの奏法も分析していたのでまあすごかったのでしょう。

そして坂本龍一さんなわけですが。
まず僕の偏見的にいえるのは、なんで彼の音楽はこんなに色っぽいのか、この色っぽさを入手するにはどうすればいいんだろうか、
などと長年思っていました。ジャズ手法でいうところのリハモやスーパーインポーズに類するものを的確に決めてくる楽曲群なので、彼がいう、
感覚的に作曲しているだけだ、というのは多分嘘でしょう。その嘘で固める感じが最終的にセクシーになるのか、そんな気もしました。
そんな風に、かなり楽理的に分析してみた事もありましたが、私も研究への根気がそこまでない性分なのでかなり忘れちゃいましたが。
例の映画音楽2曲についても例えば冨田勲の新日本紀行に似てるという指摘もありますが、結局はセクシーさという価値において、
元ネタを超えていますし、例えば矢野顕子の音楽なんて手法やセンス的には類推するものがありますが、彼女はいつも最終的に、
大らかなイメージで楽曲を仕上げてしまうので、セクシーよりも自由さのほうが上に来ます。つまりはそれよりもセクシーを前に出すためには、
何らかの自家的抑制性が必要なんですかね。この抑制性って、単なる作曲法のみならずそれなりの性格が要るでしょうね。
そんな疑念を抱きながら事あるごとに彼らを観つつも、ともあれろくに私の解読も待たぬまま彼らは逝ってしまいました。合掌。

あとは鮎川誠さんですね。彼はとにかく純粋自発的な和製ロックンロールとして、もう出で立ちがかっこよかったですね。
ブルースにヤラれてしまったところからロックを始めつつも、ニューウェーヴ時代のアイコンにもがっつりハマれたのは、とにかくカッコいいからでしょう。
ウィルコ・ジョンソンが何度も蘇りつつも、逝ってしまった後を追うような時期になってしまったのも、天性のストーリーを感じてしまいます。

結論としては、とにかく彼らに比べてどうしようもなく僕は凡人って事ですかね。
僕のロックとは、とくに90年代以降は、こんな才能も体力もかっこよさも何もない不運な僕みたいなのでも、ロックをやってもいいだろう、
というやけくその気力だけに沿うものを、珍重していたはず、という思い出はあります。オルタナ定義を待たずしてそういう希求で生きていました。
つまりは前述の彼らはあくまで、優秀すぎる上の世代の偉人であって、僕には関係ないはずだ、と言いたかった思い出もあります。
彼らだってそうでしょ、そこまで先人をリスペクトありきの活動ではなかったはずで、むしろ過去を塗り替えたいほうの方向でのしあがっていたはずで。
そもそも今のアラフィフ世代って、いつまでも先人リスペクトばかりを盾にして生きてきたようで、いってみれば終末論のはじまりだったんですよ、こんなもん。
自分の世代を予め諦めて生きてただけというかね。痛感します。そこの違和感はまだ心に留めおいた上で語ってみたまでです。ではまた。


[返信]

 Dボウイの映画
536   2023/04/01(Sat) 18:06
やあ防  

仕事場の近くで上映してたので観てきました。
音楽アートとしての作品として観たらとても素晴らしい。
ドキュメント資料的なものを求めてる方には物足りない。
そんな感じでした。
レッツダンスまでが長くて、それ以降はサラッと流して
終わりました。個人的にはそれ以降の部分をもっと
掘り下げたのを見たかったです。


[返信]

 高橋幸宏さん
535   2023/01/21(Sat) 16:58
やあ防  

高橋幸宏さんがお亡くなりになる2日前になぜかこの動画見てたんですよね。
この機械的な音の刻み方は絶妙です。人力テクノ。
ご冥福をお祈りします。



[返信]

 Y君の思い出
534   2022/12/24(Sat) 01:14
いち3  

いち3です。クリスマスが来ました。巷の皆様方は浮かれたり湧いたりしています。
私なんてのは、特に最近は連日、表参道を母の通院やリハビリの送迎をやっています。
たとえば表参道を代々木上原方向に抜ける時に、神宮前交差点、所謂ラフォーレの交差点でいつも渋滞しますが、
その渋滞で止められた時によく右手に「マリメッコ」という看板が見えますが、ちょうど見える場所で止まったらまだマシ、まだ見えない地点ならば
たいてい交差点でマゴついてる車がまたいるんだな、と凹むという。これを個人的にマリメッコ基準と呼んでいます。つまるところは、こんな事例一つとっても、
この時期皆様方が表参道のイルミネーションにつられて赴いていてさらに混むんですが、その方々の光景と、私のしがない人生との落差が浮き彫りになるんです。

表参道はいつも皆様方が、目を輝かせたデートの男女が歩いてたり、あるいは一人で、がんばって思い切って攻めたような服装をして歩いております。
それをぼーっと眺めながらラフォーレ交差点の赤信号をいつも待っているのが私です。たまに、あの女の子、あんなアホな服着てどこ行くんや、とか、
寒いのにあんな足出してアホやなあ、などと、母が後部座席からつぶやき、たいていそれをスルーしながら運転送迎しています。まあ、返答したところで、
耳が遠いため5回は同じこと最終的に大声で言わないといけなくて、伝わったとしても特に理解もされないと徒労に終わるのが見えてるからですが。
あの表参道のイルミが点灯している時に車を走らせると、もう15年ぐらいこれを観てる、まあ確かに今年もキレイですが、けど、こちらの人生ときたら、いつも
クリスマスのレジャーとは無縁な急ぎの用事でここを走っているだけだな、今年もまた去年より面倒な事態になっただけだったなという、年末のしみじみさがあります。


では本題で、クリスマスということで、また宗教の話でも書きます。最近は年齢のせいか、めっきり昔の事を思い出します。夢でもバンバン出てきてうなされますし。

私は中高の六年制で、カトリック系の全寮制学校に行かされたわけです。宗教の理由もありますが、母によれば
父が亡くなったため、とにかく自分一人で男子を育てる自信がなかったから全寮制男子校に、という今となれば直感的すぎる理由もあったとかですが、
小学生の私には、それを咎める能力もありませんで、言われるがままに進学しただけではありますが。

で、その学校でとにかく優しい友がいました。修道院という枠で入学していたY君で、毎学年に2人いるうちの1人でした。
彼らはクラスは日々一緒だけど、生活は別の、重要文化財レベルの旧い建物で、修道院生として隠遁的な生活をさせられていました。
そんな立場を別にしても、とにかく優しい子で、真逆である、地域的に単身のヨソ者で、浮いた私の存在も優しく受けとめてくれていたというか、
時に虐めに近い事があってもぐっとこらえるか、ユーモアでやり過ごせるような能力がありまして、いつしか特に仲良くなっていました。

そんな折、15歳を過ぎた頃でしたか、私がパンク系に急にハマり、自主制作盤なども含め、なんといういかがわしいレコードを
買い集め始めたものの、そもそも聴けるシステムがない、寮内ではいつしか音楽(再生)が禁止となり、各自でウォークマンをこっそり所有して
カセットテープで聴くしかないという、馬鹿すぎる無体なルールを押し付けられていて、さてどうするかという環境で。
そこでY君は、修道院にはレコードをテープにダビングできる環境(いわゆるステレオデッキ)があるから、そこで録ってあげるという、救いをくれまして。
レコードを買ってはY君に渡して、ダビングしてもらうという(共犯)関係がしばらく続きました。ところが私があまりに「パンクすぎる」
レコードばかり渡すもので「また頭のおかしなレコードば持ってきたばい!」とか毎度ツッコまれるようになり、
そこもまたひとつのユーモアを生んでました。例えばハードコアパンクのBPMのサウンドなんて当時はあまり認識がなかったもので、
45回転のレコードを33回転でダビングしてきたとか。そのユーモア性がなんとなく私にとっては微笑ましいものとなり、
もっとさらにY君がびっくりするようなレコードを持っていこうというような意識まで醸成していきました。
例えばあぶらだこの青盤とか、ギズムの中曽根とレーガンが殴り合ってるジャケの盤とか。果てはハナタラシみたいなノイズ系とか。

いってみれば、そういう行為が、この寮内の無体なシステム、彼の被る修道院というシステム、ひいてはその原点的な宗教制度、
そういうものを、私のちいさな活動、たかが変なレコードを修道院に持ちこませるという活動が、新しい角度からぶっ壊せているのではないか、
という私の自負があった気もします。つまりは、私としてはまさにそれこそを初期衝動として、今までを生きていたのかも、とも思えたり、
Y君と出会っていなければ、私はその後もロックなんていうものに傾倒していなかったとすら思えます。

ちなみにY君は「トーキング・ヘッズとユーリズミックスが良か」と言ってました。当時でいえばトーキング・ヘッズなんかも、
トゥルー・ストーリーズとかなわけで、いってみればニューウェイヴという波長が徐々に流行からの強制スタイリッシュ的に、
あの宮台氏も語っていた「洒落からオシャレ(じゃないと恥だ)になっていく強迫的な変容」とでもいうような、トーキング・ヘッズですら
わりと強迫的に棘を裏に潜めていった時代だったと、今になって批評もできますが、それとの対比としても同時代的にはほのぼのします。

ともかく、惜しむらくは、Y君がその後どうしているのか、という事で。
順調にいったのならば、年齢的にも司祭、神父になっていてもおかしくないのですが、そういう検索にもヒットしない。とすると、
Y君は、いつしかこんな教育を受けた道は間違っていたのだと思ったりして、ドロップアウトしたんだろうか、という思いがあり。

エロ雑誌ひとつも持ち込むことすら許されなかった、あの修道院生活を、10代で続けて、それでも優しさをつねに纏いつつ、
ある意味エロにも貪欲だったはずの私のパンクなレコードを受け入れてくれていたY君。どれだけの後悔と喪失感を抱えているのだろうか。
ひいては私がドロップアウトのきっかけを与えてしまったのかもしれない。それは良き事だったのか悪き事だったのか。

こんな私の話は、それ以降会った人には、誰も通じなかったし、ロケンロール、音楽とは関係のない事として世の中は回っているし、
クリスマスのケーキという、いってみれば多量の油と砂糖の混ぜ物が、ちっとも美味しくない日々があります。だが私にはずっとあります。
それだけです。ただそれだけ、ということを誰でもいいから噛み締めてください。わかる人だけでもいいから。心に留めてください。
ようは、誰かレトリックに優れている人が、こんなことをロケンロールとちゃんと結びつけて書いてくれたら幸いです。ではまた。メリクリ。


[返信]

 ワールドカッパー2022
532   2022/12/06(Tue) 07:06
いち3  

いち3です。またワールドカッパーの季節でございますね。
これが始まると、巷の皆さんが何故か、みんなカッパになっちゃうんですよね。勿論比喩的表現ですが。
その昔、私がいた職場で、60歳ぐらいの某従業員が仕事終わりに、釣り銭受け取り用の青い丸皿(昭和らしい道具)を頭の上に置いて
カッパになっちゃったー!と叫ぶ一発芸を持ちネタにしてました。その人はいつもアル中みたいに虚ろな目でフラフラしていたので、
そんなネタ芸をやっても皆は笑うこともなく放置してました。ですが私には独特のインパクトがありまして今も覚えています。
なんの関連もないですが、このようにワールドカッパーの季節になるとセットでまた思い出してしまいました。
そんな僕も今では結構なアル中なのかもしれません。次回の4年後なんて私はまともに生きているのでしょうか。ごむたいな話です。

前回、宗教の話を書きました。今ではもうすでに例の統一の問題について、いかに法案を作るかという段階での行き詰まりも窺えます。
率直にいえば、もっとこんな議論を積極的にできる環境もこの国に早くからあるべきだったと、個人的にも思います。

僕の母の家系が、なんでカトリックなのかと聞いた事があります。それを聞いた時は、かなり驚愕というか、呆然としました。
江戸末期頃に、ちょっとした武家の姫扱いだった私の先祖がいました。その姫が重い病気をした時に家族や部下らが、
あらゆる情報から集めた「神仏」と呼べるようなものの画や像などを片っ端から、姫が中央に寝ている部屋の四方八方に並べたそうです。
時が経ち、姫が奇跡的に回復した時に、布団から起きて「この人が助けてくれた」と指さしたのが、キリスト教のそれだったそうです。
それだけで、この家の信仰は決まったそうで、律儀に子孫も受け継いだと。戦時中なぞは、例えばロシア正教であるという名目で、
敵性宗派であるという世間の批判をかい潜ったり、子供らの学校では、お前の家はスパイだろ、などといういじめなどもあったそうで、
それでも尚信仰を続けたらしいです。まあ正直言って私は呆然としました。そんな些細な成り行きでなんとなく継承されてしまうのかと。
思うのは、継承とはその時代ごとの概念や信念で折り重ねられたものに過ぎず、一貫しているようで微塵も一貫していないという事です。

マインドコントロールの定義などというものをどうするか、などという無理難題で政府なぞも停滞しておるようですが、
そもそもはこのように、時代背景をそれこそ江戸以前ぐらいまで遡るのもひとつの糸口であると私は思います。
逆に言えば、それを遡って紐解いた上で、納得した上でも結局は、翻って極めてクールに現代の感覚で裁くしかないという理解です。
所謂「救済」とは、つねに同時代性に乗って行われてきたはずでもありますからね。それこそ紀元前から。まあそれが私の提案ですね。


>wataさま
磐井由香さまの事は覚えております。かつてここで、所謂ネットコミュニティーの黎明期のような事象がありました。
私も今で言う「SNS上の炎上」的な事象に、彼女の言動を題材として加担した事もあり、それによって妙に全体主義的な結託というか、
ある意味で当時としては意外な共通意識がここに膨らみ、やり取りによっり浮き彫りにされるとでもいった、妙な過程を経て、
なぜか私は私を共感支持するとでもいったアプローチをしてきた人と個人的に付き合ったりまで至りました。
そこから最早ネットコミュニティーを超えて、私生活の領域までにあらゆる事象が作られました。ある人を伴侶とまで思うような。
何故にそんなあらすじにより自己が構築されたのか、いまだ不思議であり、なにやら私の人生のテーマとなっております。
惜しむらくは、磐井由香さまともっと理解を深めるような交友するコミュ力が私には当時あまり無かった事ですかね。コミュ力というか、
キャパシティーというか、単に自分の能力不足というか、単に当時のやり繰りに忙殺というか、よくわかりませんが。惜しいです。

>やあ坊さま
私はこの掲示板だけをブックマークしていて、所謂トップページはもう数年も開いたことがないと思います。
不埒な使い方だとしたら申し訳ございません。Dボウイはやっぱりジギー時代が一番がつんときますね。
私の例の師匠は、ヤング・アメリカンズが分からん奴はバカじゃ!とまた怒鳴ってましたが、
もうさすがにあの人の説教はどうでもよくなってきました。恣意的な好き嫌いが僕にもあって何が悪いというのだろう。って。


[返信]

 MoonageDaydream
531   2022/11/26(Sat) 17:32
やあ防  

Dボウイの映画があるそうですね。観たいなぁ。
近所でやってくれたら行きたい。

それはそうと、薄々予想はしてたのですがトップページから
入れるいろんな掲示板リンクがほとんど存在しませんね。
過去ログも消えました。フリーサーバーでしたから
いつかサービスは終わりますよね。
みなさんからいただいたレビューだけはぷららに
置いてたのでさすがに消えていませんでした。

私の古いパソコンかハードディスクの中に過去ログは
あると思いますが引っ張り出してアップしてリンク貼る作業を
する時間的余裕はございません。
みなさんの記憶の中で生き続けてるのを願うのみです
(↑単にめんどくさいだけ)。

#wataさんお久しぶりです。48歳ですか。私は54歳です。
おかげさまでコロナにもかからず元気でやってます。
では。


[返信]

 ボケてるわけではないw
530   2022/10/14(Fri) 23:30
wata流  

自分前にいつ書いたっけ、と辿ってみたら、磐井さんのことは一度書いてますねw 大変失礼しました。
ただチョロっと書いただけなんで、さすがに覚えてなかったです。
今回はもう少し晩年の彼女の生き様まで書けたので良かったかなと思います。


[返信]

 足跡には花束
529   2022/10/14(Fri) 23:18
wata流  

お久しぶりです。元気でやってます。もうすぐ48になります。
5月からボーイバンドのBE:FIRSTにドはまりして推し活に近いことをしてるという、血気盛んなアラフィフです。スイッチを入れたらお前14才にしてやるぜ、っていうアレすね。音楽は素晴らしい。

んなことはよいのですが、先日Coolioさんがお亡くなりになって、磐井由香さんのことを思い出しました。彼の言葉に心酔してた彼女ですが、数年前に病気でこの世を去っています。昔はバリキャリ的な生き方をしてたのですが途中でヴィーガンに目覚め、ローフード(火を使わない料理)も含めたクッキングアーティストとして活動されていました。順風満帆でもなかったのですが、もがきながらも自分の信じるものを突き詰める姿勢は大変美しく見えました。そんな彼女が大病を患ってしまったという事実は、簡単に言葉にはできないほど辛いことであったと想像できます。生徒さんも大勢いらっしゃったので、見える範囲では明るくふるまってましたけどね。
惜しむべきは、世が世ならYouTuberとして脚光を浴びるのが容易に想像できるような活動をされていたので、コロナ前に亡くなられてしまったことは残念であります。

かろうじて名前を記憶されてる方がいるこの場所なので、せめて少しだけ彼女のことを記すことをお許しくださいませ。
あの頃非公認にいた方々、お元気だといいなぁ。スナフミン様とは細々と交流を続けてます。

老いや死をより身近に感じられる年齢になってきましたが、健康第一、という1080度回って新しいワードをもってこの書き込みを締めたいと思います。


[返信]

 雑記in'on
527   2022/10/09(Sun) 16:05
やあ防  

おひさしぶりです。
振り返ったら3月に書いて以来です。
世の中的にはいろいろありましたが
個人的には両親の介護があり
一時は寝たきりの父の在宅介護もしておりまして
なかなかハードな夏でした。
今はふたりとも同じ施設に入所でき
落ち着いたところであります。

それでも私自身は健康です。
コロナにもなりませんでした。
というか、コロナ以降マスクや手洗いのおかげなのか
風邪すらひかなくなりました。

自分には子供がいないので
せめて健康で歳を取りたいものです。

というわけで、また。


[返信]

 錦鯉
526   2022/08/28(Sun) 05:36
いち3  

こんにちわ。いち3です。こーんにーちわー、という、錦鯉さんの冒頭ギャグを日常的に観るようになりました。
あれを観るたび、妙にシンパシーが湧く昨今です。

まずは冒頭に。私には安倍暗殺事件の考察において、まあこうしてひとつの誤算がありました。
山上事件が、統一こそを真の敵だと見極めての執念的な犯行だったということが、殊の外、大衆に評価され、
ここまで報道ラッシュ、社会問題に発展することまでを、予測はできませんでした。

山上氏という、いわばやや孤独ないち国民により、自作ピストルという、昔でいえば竹槍に匹敵するような武器で、
暗殺が成された末、どなたかの表現で云う「自称保守系の根腐れ」を浮き彫りにさせる連日を作るに至った、
稀なる歴史的現場に対峙している時代を、僕たちは歩んでいるはずです。
しかるに今後、僕を含め、この国の大衆はどうこれを醸成するのか、という問題も。

歴代最年長にまで続いた、安倍政権とかそれに基づく「熱狂」について、
裏でそのベースとなるものが「統一」だったという衝撃。衝撃であるはずなのだけれども、
我々はそれをも、一種の自虐的ネタとして、例えばネット上のガス抜き的な他愛もない、ウヨサヨ系のバトル上において、
例えば粘着質なネトウヨ的な相手に、日夜パヨクだなんだとくだらないワードだけで反レスをされる煩わしい事象に対して、
今は「壺ウヨ」というワードでもって鸚鵡返し的に対抗できるようになった。そのプロレス的な、すすんで自分らをも戯画化する、
それが寧ろ爽快である、という流れに乗りそこに陥ってもべつにいい、今日がそこそこガス抜きであればいい、
などという、その手法にこのネタを使ってしまおう、これこそが「日本の文化」ではないのか、という境地。
そんな境地でもって結論づけてみました。
だって終戦後だって、ころっと次の日からは忍者のごとくギブミーチョコ的な文化に乗り換えたわけですからね。
ある意味現金ですわ、って感じで。そもそも右翼的な根本はおそらく誰も信じていないはずなわけです、
だって確固としたものは本来あるようでないのだから、という暴きも含めて。

それにしても、僕も違わず年老いていきました。僕は今まで、所謂重大犯罪について、その当事者のことを、
その度に心底評論してきましたが、数年前の植松と白石、あの2人の犯罪あたりから、正直良く分からなくなりました。
なんというか、ある意味ドラッグ的な作用による変貌と勢いだけによっても、それらはできでしまうのではないか、という、
不可逆的、分析不能な文化的フェーズの変容に気づいたせいです。つまりは、所謂「心の闇」的な解釈も最早無効というか、
僕もさすがに歳を食ってしまったものだな、歳を食うというのは、「無効」を受容しないといけないか、と嘆いていたわけですが、
そこに不意に訪れた山上事件は、それに比して、完全なるドメスティックな「恨み」をもって、
焦点を定め、やったわけだから、ある意味で赤穂浪士的とでもいってしまえるぐらいに、
文化的フェーズの変容を飛び越え、具現化したものだったのではないかと、正直驚愕しました。
「対宗教」という意味では、オウム事件のような信仰に「熱狂した」経緯のものではなく、むしろその逆なわけでもあり。

ところで僕は、宗教については、母がカトリックだった事で、カトリック系の中高に行かされて、
昔語ったように大変な10代を過ごしたり、そもそも土日をミサに行くという頻繁な義務があって、
週末を辛気臭いミサのためにレジャー的に楽しまなかったり、クリスマスなんかも、ミサが正義的であり、
JRCM的な、恋人なんかと一夜を過ごすなんて世俗的な流行に乗るのは、以ての外だ、というような概念も、
わりと押し付けられたりと、そんな事を咀嚼しながらの半生で育ち、そのおかげで良くも悪くも、
宗教というそのものを、つねに懐疑しながらも皮肉的に口元歪めて、各イベントには参加するという、
自分の観念を醸成しました。そのせいで、例えば今回の統一関連、その信仰性がもたらす各事態についても、
客観的ながら、皮肉をもって、ある意味攻撃的に批判をする事ができるように育った、という面もあるにはあります。
でもそれは恐らく、嬉しくも悲しくもない事なのでしょう、そこは自分にも決定できません。
だからヘラヘラと笑うのです。いくら外野の諸々どもに、ヘラヘラしていると腹を立てられても笑っている事に、
意義があるとすら思える半生でありました。この態度を外野は「冷笑」などと誤解しがちなようでしたが、
寧ろ逆であることを、大衆はこの事件を期にようやく学習できたりはしないでしょうか。ではまた。


>フリューさま
よく分かります。私の場合は10代の頃、旧友(例の師匠)に「いい加減バカパンクはやめろ」などと暴言的説教された事を、
ヘラヘラ笑いながらも受容したのが、ROをちゃんと読んでみたきっかけであり、いわば出発点がそこといってもよくて。
それまでは、シド・ヴィシャスが自分の腕に注射してる絵のTシャツとかを破って着たりしてた人でした。
ロキノンが私を馬鹿にしてるという被害意識よりも、ROが自分の初期的概念をさてどこまで塗り替えてくれるのやら、
と多少期待しながらも、結局はそこまで塗り替えてくれなかったな、という残念感のほうが大きいかも、ですね。
またこれはこれで「冷笑」をしたくなる回想を作っているだろうから、まあそれぞれ謎要素が残っているわけかなと。


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 Re:[512] 富士に太陽ちゃんとある
524   2022/08/21(Sun) 06:54
フリュー  

> ただ、5ちゃんの該当ニューススレなどを読んでいると、ふと気づいたのですが、
> そもそも「ロキノン」という呼び方は蔑称のようなものだったはずだ、元々はROとよく書いていたな、という
> レスを発端に、その後のレスがROと書くレスばかりに自然となっていました。
> 確かにそうですな。そもそも20年前ほどから。2ちゃんが台頭してきたぐらいの時代に「ロキノン」という呼び方を見て、
> 妙にそれを定着させてしまった文化とでもいうものが、ここ20年ぐらい支配していましたね。
> 私ですら、妙にこれを気に入ってしまった。そもそも2ちゃん文化を気に入ってしまった。痛々しいながらも。
> なんというか、自虐でしょうかね。90年代までの自分とその周辺、文化に対する自虐、共同自嘲的な気持ちの結晶。
> それが「ロキノン」という蔑称を、普通に使うまで受容せしめた。でもROの真理らしいといえば、らしくないですか。
> ここに対して可も不可も、まして反省的なものも、べつに無くても良くないですか。「流れ」じゃないでしょうか。
> いずれにしてもこの機に、ロキノンからROに、呼び方が戻っていくのなら、それは微笑ましいことじゃないでしょうか。
> ではまた。

「ロキノン系」という言葉は確かに蔑称に近かったかもしれませんね。
当時はロッキングオンやジャパン(主にジャパンだと思うけど)に載ってるもののみがロックであるという今考えたら訳の分からない価値観が音楽村ではかなり支配的でしたので、そこから外れた音楽を嗜む人達からの細やかな抵抗としての言葉だった気もしますね。
自分はV系が根幹にあったので馬鹿にされるとこういった言葉で抵抗してた記憶があります。
でも当時自覚的に使っていたからこそかもしれないですが現在自分はロッキングオン誌やジャパンの事をロキノン呼びする事はないなとふと思いました。


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 アイキャンフライ
520   2022/07/10(Sun) 08:18
いち3  

こんにちわ。おひさしぶりですいち3です。
母が施設に入っておりまして、会うのは週2回のリハビリに連れて行くという習慣なんですが、
そろそろ自宅に帰ってくる予定ですが、母の要望でそれまでに自宅の家電の殆どを新調してくれ、
ということで、エアコン冷蔵庫レンジ等々、それぞれの商談やら工事やらにも追い回されています。
またトイレと浴室のバリアフリー化等、ほぼリフォームとして動く件もあり、週1回は工事業者さん等を
家に迎える感じで、そのたびに掃除したり換気したりと、日々追い回されています。
エアコン冷蔵庫等も、現状で15年ぐらいは稼働しているけれど、特に壊れてないんですが
母曰く「みっともないから」という恣意的な主張を込めた一言でもって新調を要求しました。
まあ冷静にでもなれば、これが正直、私には理解できなかったんですがね。姉2人は同じく恣意的に従順となり。
母は田原総一朗氏とほぼ同じ年齢であって、そんな年齢の人のこの期に及んでの望みなのだから、
という意味で、我々子息として、私ももはや反論せず従うしかない、という観念になりきって動いているわけですが。

で先日は、最後に残った1台のエアコンを新調しました。これが所謂マンションの無理目な設計上の隠蔽配管で、
さらにFケーブルに圧着スリーブ等による継ぎ配線がある、などという理由で、
量販店の作業者には当日現場で断られるという、予定が台無しになったあげくの、
別の新規で頼み込んでやってもらえたというありがたい職人だったわけで、そつなく設置してもらったわけですが。
で、精悍な若者職人がひとり、困難な隠蔽配管に手を突っ込んでがんばってエアコン設置を完了してくれたわけですが、
彼がライト代わりにスマホのライトを使ってた際に、スマホの待ち受け画面がおそらく日向坂の久美さんで
あるのが見えて、あ、久美さん推しなんだね、と突っ込みたくなりましたがやめときました。
ここで私が突っ込んでいれば、日向坂を通して、いわゆる世代を超えた話題も拡がっていただろうと思いつつも、
こちらの体力的にその余裕も無い感じだったのでやめただけです。ありがとうございました。ほのぼのしました。


さて、そんなこんなにも拘わらず、私は元来の不眠症であり、なかなか寝るべき時間に寝られないわけですが、
だからこそここにもこんな時間に書いてみようとしてるわけですが。今時事的に語るといえば安倍さん死去ですよね。

私にとって安倍さんというのは、政権政策としては事あるごとにイライラさせられた存在でした。
しかし私自身はウヨサヨのどちらかに強固に偏るスタンス性質でもないので、彼のいち政策ごとについても、
それはまあ一理あるけれども、そもそも大衆的人気にあやかって長期政権を担っていても、
結局現実的成果にはならないじゃないですか、つまりは大きな政治信条を掲げて動かす表向きの政策とは裏腹に、
裏では、一部の利益供与できる団体等が利益を得てるだけなんじゃないですか? それが本業なのでは?
などと憶測される結果でもって、随時なにかとイライラさせられたような経緯でありましたね。
ともかく、そもそもが「大衆的人気による熱狂」とでもいう彼にまつわる流れが、とにかくいつも気になっていました。

私に言わせると、いってみれば「安倍さん」なる彼は、例えばどこの中高生のクラスに2人はいたような、
周りの期待に応えて持ち上げられて、ついつい大衆の期待通りのキャラクターを習得し、さらに何故か肥大化させ、
その通りに頑張ってしまうキャラクターであったと思っています。例えば80年代に、
あの時代の流れにのって売れたアイドルにもよくいたタイプだとすら思っています。基本的には同種というかね。
結局は政治政権においても、そういうものに大衆は最も熱狂するものなのだなと、
諦観とともに、この世は所詮こんなものだと納得させうる存在であったともいえます。

その彼が、あのような、今で言う所謂「チー牛」的なキャラクターによる個人的な意図に暗殺されるという結末について。
思えばあの犯人のような思い込みというか妄想は、例えば私の周囲ですら、すでに中高生時代に、
ゴロゴロいたとおもいます。私の時代でいうと、スタローンのランボーなどに心底憧れて、
レプリカも含めて武器めいたものを買い揃えて、自身の身体に装備してみせる同級生や上級生がいました。
小学校ですらいましたね。例えば大門軍団に憧れて、それを基調にして、銃身を切り詰めたタイプのショットガンの、
ほぼ実物に近いレプリカを、親の同意とともに買ってもらって僕らを呼んで撃ってみせる子供もいらぐらいで。
そういう人にかぎって、例えばBTTFのビフのようなマッチョイズムでは、スクールカーストを掌握できないタイプで、
でも見返してみたいような、一見地味すぎる、今でいう陰キャ寄りのキャラの生徒が、頑張ってやっていました。
つまるところが、昭和の時代から伝統的にそういう子はいました、という前提もあり。

で、私自身においては、安倍さんのキャラも、犯人のキャラも、薄くながらもどちらも経験した記憶がありますね。
だからどちらのキャラの心情にも同情してしまいます。ある意味、私の時代の中高時代の狂乱というものは、
私といういち青年に対して、そういう立場を劇的に行き来させるものでした。
いってみれば、この事件を通して、私としてはこの心情と時代を理解していただきたい。
いってみれば、この国、日本人とはこんなものなんだ、という、この国に育った我らの本質を咀嚼していただきたい。
誤解を恐れずにいえば、安倍さんとこの犯人は、この国の「流れ」において醸成させられたキャラという意味で、
本質としてどこか繋がっている、とすら考察できるはずで。つまりはどちらが被害者か加害者か、ですら、
どちらが上、ひいては「こちら側」の立場であったかの概念すらないわけです。それは消え去るんです。
そこに肉迫してレスいただけたら私としては幸いです。ではまた。


[返信]

 あの日に帰りたくもない
516   2022/05/04(Wed) 18:11
いち3  

こんにちわ。いち3です。
ゴールデンウィークですが、私といえば今は洗濯機の清掃をしています。
酸素系漂白剤をぶち込んで放置すれば、大量のワカメのような汚れが浮いてきて気持ちいいと、
ユーチューブ等々でも紹介されていますが、それをやるとその後の洗濯した衣類に
残ったワカメが付着して台無しになりがちで。業を煮やして結局は、塩素系漂白剤を大量に
ぶち込む羽目になりました。結局あのワカメというものは、塩素系で溶かしきってしまうしか
決着が付かないようです。つまり先の酸素系漂白剤での作業というものは概ね無駄であったと。
とりあえずこれが決着しないと、冬物のジャケット等の洗濯からの収納も終わらないと。
そんなこんなで、せっかくの晴れたGWを無駄にしている今です。まあ相変わらず泥酔しながらですが。
最終的には、一回につき2000円前後かかるというコスト高の、メーカー製洗浄剤を使わないと
完璧にはならないという話に行き着いたので、早速先程一瓶通販注文致しましたがね。

なんていうか、人生の営みというか、人生の仕事というものは一体なんなんだろうと思います。
子供でもいれば、このGWもUSJとかに連れて行け、みたいな話でてんやわんやしてたのでしょうか。
それが無い、一時の独身生活のGWですら、たかが洗濯機の一台でこれですよ。たかが。
こんな私ですが、来週はいろいろと大変な作業が始まる予定です。正直不安です。

飲みながらふと、10代の頃の自分を思い出しました。
前回書いた映画の感想絡みでいうとそもそも、自分にとってのサブカルとは何だったのか、とか。
私の中学時代はとにかくヤケクソの毎日で、そのヤケクソ感をガス抜きできるコンテンツとして
発見したのが『遊星からの物体X』という映画で、それの今でも語り継がれるSFXを駆使したシーンを、
ビデオ録画したものを学生寮のテレビで何度も流す、という行為をやっていましたね。
だいたい夕食後の17時半ぐらいでしたね。あの例の、頭部がカニになるシーンがメインですね。
なんとなく、テレビ前を通り過ぎる先輩後輩らに、お前らもこれを直視して、人間というものは
最終的にはこうにでも成りえると知れ、という思想を伝えんとしていた意思があったような記憶もあり。
これが自分なりのサブカルの萌芽といえば萌芽な気もします。まあ頭はおかしいですね。

そういう行為の余波で、例えば『爆裂都市』やザ・スターリンのライブの録画なんかもたまに流したりして、
所謂パンクロックともシンクロしてくる感じだったかもしれません。違和感なく。
そもそも私が、所謂ロックを意識したのは、ある同級生が「俺パンクになろうかな?と思った」という
まるでヤンキーデビューのような宣言をしつつ、ピストルズのスウィンドルのビデオを持ってきて
学生寮のテレビで流したのを鑑賞して、衝撃を受けたのが明確に最初のキッカケです。
私のキッカケは、レコードCDでもなんでもなくビデオなんですね、と思うとある意味呆れます。

そのビデオを流した同級生は、ジョニー・ロットンの衣装をかなり完コピした服を作ったり、
ある意味見事にパンクスに成りきったりしていましたが、卒業後は親を継いで医師になっているようです。
もう一人、私と一緒に学生寮を夜こっそり抜け出して、某パンクバンドのライブを堪能して、
終了後にはせっかく草むら匍匐前進、同級生にここの鍵をこっそり開けておいてくれと伝えていた
食堂の窓から侵入して無事に学生寮に帰ってきたら、偏執狂のような教員の偵察により全部バレていて、
一緒に停学処分になった同級生も、卒業後は親を継いで医師になっているようです。
僕だけ医師に成れなかったのは、そもそも親も医師ではないし、資質もなかったからですかね。
まあそろそろ、今日は思い出話はこのへんにしときましょうかね。では。


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 あの頃に戻りたい
514   2022/04/28(Thu) 13:58
いち3  

いち3でございます。皆様お元気ですか。定期ですみません。

そろそろマスクをしなくてもいいのでは、と最近世の中で盛り上げ始めてますが、
私はマスク生活のおかげで、長年悩ましかった持病の発生率がかなり減った、という
棚ぼた的なメリットを手に入れました。始まると顔面が10日間ぐらい腫れるという困ったやつなんですがね。
なので個人的にマスクを手放したくありません。このまま私だけが数年後もマスクを付け続け、
そのうち社会的に周りからも浮く存在になるかも、という妙な未来像が見え始めています。
まあ今すでに浮いているはずなので、そもそもどうしようもない自覚もありますが。


今日は映画『花束みたいな恋をした』を遅ればせながら観たので、その感想でも書きます。辛辣に。
まずは、菊池の夜電波をこんな若い子らが聴いてたらおかしいだろ、とか
とりあえず思いました。あと、じゃんけんのパーがグーに勝つのはおかしいってのは
以前に私の例の師匠も言ってたので、なんか元ネタがあるのかが知りたいわ、とか思ったりしました。
おしなべて、これら項目の並びで所謂サブカルのカップルみたいに定義するのは無理あるだろ、とか。
何より、彼らの恋愛を崩すべく、象徴的に周囲で死ぬ件が3件も用意されてるのも、ある種の懐古的あざとさ、
言ってみればロキノンらしいな、とか思いましたけどね。カートコバーンじゃあるまいし。的な。

もっと別に誰も死なずとも空気的に崩れていったほうが繊細でリアルで良いんじゃないっすか?みたいな。
就職で忙殺なんかよりも、例えばネット活動家みたいなほうへハマってパートナーが呆れて崩壊のほうが
寧ろリアリティがあると思えるのが現実の今の文化の謎、小説よりも奇なりなんだよなと思ったりね。
今どきは活動家やっててもべつに死にもしないようだし。ウヨパヨなどとSNS相手透視絡みガス抜き空虚。
活動家の頭に「ネト」って名付くだけで死なないで済む、みたいなね。どうせ今はそういう文化。
以上です。辛辣だったらすみません。ていうか後半は当作品と関係ない老婆心的展望です。わざとです。

続けて『愛がなんだ』という映画を観て、これが妙に良かったので救われた感じになれました。
たいして何も起こらないストーリーのわりに、全員のキャラががっつりと立っていて皆なにやら愛おしく、
みんなそれなりに寂しいもんなのかな、的な共有感があって。終始画面にツッコミつつしみじみ観ました。

他にもいろいろ特に批評すべきものでもなかった邦画もこの際結構観ましたが。
とりあえずここ5年ぐらいはこういう感じの邦画文化があったのか、と娑婆に戻ったような個人的心地です。
まあできればもっと映画を観ていきたいものですね。ではまた。


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