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 雑記in'on  (旧talkin'bout RO)
   
roのこととか音楽のこととか、その辺いろいろ
                                                 

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 拝啓、カマキリ様
161   2014/12/06(Sat) 13:44
いち3   <ichisanro@outlook.com>

このところ、ひょんなことからカマキリを飼っていました。
このところ、すっかり何をやっていいのか意味不明な私の生活に、ちょっとした潤いをくれた、カマキリさんでした。

思えば、出会いは2ヶ月ほど前ですね。
ベランダに出ていた私の後頭部に、なにやら虫らしきものがぴたっと着地して、ひやっとして払いのけました。
そしたらカマキリさんでした。全身エメラルドグリーンの、デザイン的に完成されたフォルムも魅力的なカマキリさんでした。
私に払いのけられて、わなわなと動いていました。

しかしまあ、「いい大人」な私には虫を飼う性分はないので、しばらく観た後、ベランダ下のマンション植え込みにぽいっと逃がしました。

そしたら3日後ぐらいでしたか、ベランダに出てみたら、エアコン室外機の裏に健気に登っている、カマキリさん。
あれ? なんか今年はカマキリ異常発生でもしてるのかな?とか思いつつ、それにしてもコミカルな動きをするもんだな、などと思いつつ、
暫く眺めやりつつも、またしてもマンション植え込みにぽいっと逃がしました。

そしたら5日後ぐらいでしたか、またしてもエアコン室外機の裏に。
あれ、これはもう先日と同じ、ここに居ついちゃってるカマキリさんなのだな、と確信しました。
ここに産卵でもしたいのでしょうか、何度植え込みに落としても、何日もかけて、ここに登ってきているんですかね、
困ったものだね、どうすればいい?とカマキリさんに問いかけてみると、こっちを観ながら、くいくいっと鎌を振り回しておりました。
この鎌の振り方、はっきりいって猫パンチと同等の動きですね。かわいいと思ってきました。

そもそも、エアコン室外機に産卵されても後々困るのだろうし、しょうがないなあと思って、かといって虫籠なんか持ってるわけもないなあと、
ふと、部屋にある焼酎ペットボトル2.7リットルのやつに、ポンと投入。ここから飼育らしきものが始まってしまいました。

ペットボトルに数箇所穴を空け、割り箸を立てて掴まりやすくしてみたり、水を含んだ脱脂綿を置いてみたり、ネットで飼育方法などを調べて、
試みてみて、さて、餌はどうするかな、と思い、では蟻でも捕りに行ってみよう、と、割り箸と焼酎の空コップを持って、出かけました。
しかし、季節の折、これがいない。公園やら緑道などをうろうろしてみても、蟻一匹みつからない。うむ、どうしよう。
結局2日ぐらい探しても、餌に相応しい「めぼしい」虫などは、どうもみつかりませんでした。正直いってヘコんだりしました。

さらにネットで検索してみると「プリンを食べるカマキリ」という動画が。どうも好物なようです。
虫の振りをして、動かしながらあげると、基本的には乳製品などはよく食べるようで。あげてみました。
ペロペロと美味しそうに食べてくれた時は、なかなかかわいいものでした。その後、チーズなんかもあげました。

そんなこんなで、頻繁にペットボトル内を掃除してあげたりだとか、寒い日は部屋に入れてあげたりだとか、
そろそろミルワームでも買ってご馳走にしてあげようかなとか、ペットとともに生きる的な、有意義的な日々がそれなりに続きました。

そんなある日、10日前ぐらいでしょうか、帰宅してふとペットボトル内を見ると、割り箸に掴まって、ついに産卵をしていました。
あらら… と思ってしまいました。なんというか、ついに、というか、ちょっとやっかいなものを産んでしまったなと。
なんというか、それを境に、妙に疎ましく思う、という感情が、ふと私に湧きました。

なにしろ、産卵してしまうと急激に体力を無くし、通常は死んでしまうとネットで知識を得ていたのがあります。
それは、この我々の、微笑ましい共同生活の終わりにリーチがかかってしまったということを意味します。摂理ながらも悲しいものです。

その後2日間ほど、カマキリさんは、まるで卵を守っているかのごとく、その場にじっとしていたり、過剰に防衛する感じだったり、
していたのですが、こうなったら餌をふんだんに食べさせて延命させようと、チーズを多めに与え、食べてくれたのは、
まあ嬉しかったりしました。

さらにその2日後、割り箸に登る力も衰え、常時、地に這い蹲るような生活になりました。ああ、いよいよなのか、と思いつつも、
またチーズを与えてみました。いつものように、食べそうな素振りを見せながらも、もういいから、と言わんばかりに、
ぷいっと顔を背けてしまいました。それが私に見せた、最後の表情になりました。

次の日に起きると、もうカマキリさんは息絶えていました。横にはいつか食べてくれれば的な意味で置いていた、チーズがありました。
まあこのように、淡々と関係は終わる、という事なのでしょうか。最後にチーズは少しでも、美味しくいただけたでしょうか。

そして私に残されたものは、亡骸と卵なんですが、これをどう葬ろうか、まだ足が進まない現状です。
亡骸は日々干からびていってます。卵はどうやって移動させようか、そもそも無精卵かもしれないしな、とかいろいろ憶測事項が
堆積する、そんな私のロックな人生の1ページを紹介しました。無理矢理ですが。ではまたお会いしましょう。
私にメールをくれる皆様、いつもありがとうございます。励みになっております。


[返信]

 せかおわとか
160   2014/12/01(Mon) 08:06
いち3   <ichisanro@outlook.com>

さて、またお久しぶりになってしまいましたね。すみませんね。
ところで、ユーチューブのコメントによくAWESOME(オーサム)って書いてありますよね。
かたや我々といえば、「おお、寒…」と、つい呟いてしまう、そんな季節になりましたよね。
いかがお過ごしでしょうか。

さて、セカオワさんについて語ってみたいと思います。チラホラ名前があがったりしてるので、乗っかってみました。

彼らの楽曲、ステージには、いわば「東京ディズニーランド的」な、普遍的な魅力を有する演出力は、あると思います。
私は普段、まるで俺こそがロックの代弁者だとでも表明するがごとく、斜に構えているように思われるかもしれないですが、
逆に案外と、そういった「普遍」といったものには、できるだけ肯定的ではいたいと思いたがる性質です。

ていうか、「普遍はある」と思うんですよね最終的には。いずれのものについても、行きつく先には、ですね。
なんというか、ディズニーランドを「楽しめる」か否か、の基軸というか。簡単に云えばそういう事ですね。
子供に付き合うとか、その手の立場ではないにも関わらずです。
それに耐えうるだけの基軸があるか。まあ、そういう事です。

で、そういう意味でも、セカオワさんには肯定的ですね。
こういうバンドが流行っているなら、今の時代にもまだ救いようがあるかな、ぐらいにさえ思ったりもしますよ。

ただし、私が評論したり語ったりすると、実際、褒めているのか貶しているのか
よく分からないように受け取られるような事が、ままあるということを、最初に断っておきたいです。

たまーにネット上にて映画レビューなどを書いてみると、よくそんな風に「勘違い」されて返されたりします。
どちらかといえば肯定的評価だとは自覚して書いているのにもかかわらず、
「根本的に、映画に対する愛情が無いように思える」とか、返されたりします。
なんていうんですか、ただ酷評をするよりも、分析的にアプローチするほうが、
より作品や対象について、むしろ貶してるように思われがちな法則って、あると思うんですよね。
一言でいうと、「肯定するならスクエアであれ、そこに反するな」と、いう事なんですかね?… 難しいものですね。

セカオワって、年齢的には新世代といえども、むしろ懐かしい感じの、ビートルズ世代的な演出感があって、
そういえば、ポップスっていうのは他ジャンルに比べれば十分すぎるほどに「伝統的」だよな、と再認識できたりします。
そもそも「伝統的」である事が露呈してしまう事自体が、この世界では有りなのか無しなのか、そんな命題さえ思い起こさせるじゃないですか?

例えば現行のシングル曲ですかね、いわゆるEDM等で手垢のついたオートチューンボイスを、トランシーバーの声に見立てて、
どうせならさらに戦場での通信というような舞台設定にまで拡張する、
この演出思考ね。なんというか今どきこんなに「律儀でかわいい」思考をするのか、とさえ肯定してしまいます。

誤解を恐れずにいえば、あの世紀末、フレーミング・リップスのソフト・ブレティンのライブ、その桃源郷的世界観で、
当時、我々も大いに盛り上がった、あの演出性と重ねられます。
これを言うと「いや一緒にしないでくれ…」などと、双方のファンから返されそうです。

セカオワのキーボードの女の子、彼女はすごく「いい味」を出してますよね。
NHKでのドキュメントらしき番組で観たんですが、ボーカルのメインの彼の不安定性を支える感っていうんですか、
「ひとりじゃ生きられないもんねー」と隣で母性的に囁く感じとか。

ネット上の評価をみると、「いわゆる共依存ぽい関係性で、こういうのはきっと長く続かないね」とか、その手の怪訝もありましたが、
私は、「いやいや共依存ぽい関係性だと、むしろ意外と長続きするもんなんですよ。例えばエレカシとか」
などと逆に肯定したくなりますよ。
しかしこれもまた「いや一緒にしないでくれ…」などと、双方のファンから返されそうです。絶対に。

こんな感じですね、はい。だから最初に断ったんですよねw

では今日はこの辺で、またお会いしましょう。
皆さまご自愛くださいませ。いや本当に。帰りはきっと思った以上に冷え込む季節ですからね。

追記ですが、この文面は1ヶ月ぐらい前に書いてほったらかしてたストックなので、若干古い感じですみません。
やあ坊様、ご自愛ください。


[返信]

 わけあって入院中です。
159   2014/11/12(Wed) 15:37
やあ坊  

暇すぎて死にそうなのでネットをしています。

先日も書いたような気はしますが今まで健康診断を
「おれロケンローラーだから」という理由で受けてこなかったわけ
ですが連れができて健康診断を受けてこなかった非常識を責められ
仕方なく受けた健診でポリープが発見され2泊3日の病院送りと
なった次第でございます。

ポリープの切除は昨日終わったわけですが尻に何かを突っ込まれ
ウンウンと唸ってる姿は実にかっこ悪いものでしたが無事に済んで
先ほどまでは点滴台を転がしながら病院内をうろついておりました。
明日は退院で午後には仕事をしてるんだと思います。

病室は大部屋で私以外には老人がひとり入院中ですが先ほどは
奥様が見舞いに来ていて「早く治してまた旅行でも行きたいなぁ」
などと話をしていたのですが実際はそういう日が来るのかは不明な
感じでしたので私は「がんばれよ」と心で願うばかりでした。

ていうか暇です。消灯も早くて夜は長いです。健康が一番。
あ、wata流さん、私はあと3年半でヒフティーズでっす。


[返信]

 邂逅
158   2014/11/04(Tue) 05:52
いち3   <ichisanro@outlook.com>

さて、お久しぶりになってしまいました。
ここ一月だけでも、噴火やエボラ等、いろんなことがあって、音楽、ましてやロックどころじゃねーな、
ってな感じでしたね。正直。個人的にはそうでもないですけど。

先日、RO誌を見かけると、表紙がフー・ファイターズだったので、今日はその関連エピソードでも書きます。

もう1年前ぐらいになりますか、平日にふらっとタワレコに赴いて、ひとりエスカレーターに乗りこむと
すぐ前になんか大きな男性がいました。デイヴ・グロールさんでした。
そのすぐ前に、かわいい女の子がいました。なんというか、外国のかわいい女の子のテンプレ的な印象そのままに、
金髪の長い髪をサラサラなびかせながら、日本でも数年前よくみかけた例の、踵部分にローラーの付いたスニーカーを履いて、
いかにも子供らしく、親に連れ添う退屈さを払拭せんとするように若干はしゃぎつつ一緒にエスカレーターを上昇しておりました。
どうみても、デイヴさんの愛娘さんですね、と思いました。

ところで、私とデイヴ・グロール。
そもそも立場は大きく違う、そして今もこのように違うながらも、グランジあたりからロックシーンを見つめてきた我々2人ですよね。
そうだよね、ねえデーブ? などと問いたいほどに。なぜか同じエスカレーターに乗り合わせたこの2人。そしてかわいい愛娘。

そもそもグランジ以降なんていうのは、私にとってはダイナソーJRやピクシーズの存在が核心的というか、あのような、
いろんな意味で自由すぎるスタンスにこそ、意義があると思っていたので、正直ニルヴァーナみたいな「カッコよすぎる」
バンドは、当初から何か違うなと思ったり、特にカート急逝以降の物語性などは、もう何なの?といった疑問符を抱えながらも、
完全に背を向けるわけでもなく、ああこのようにロックという物語は作られるのだろうし、それも悪くも無いなというか、
そういう「甘受」を伴って過ごした90年代の思い出。フー・ファイターズもまた、過去的な何かを吹っ切るように立ち上がった、
いわば爽快なバンドであって、そんな経緯というか文脈でもって、当初から好意的に受け入れたよなあと。
例えばそんなような思い出を、走馬灯のようにちらほらと回想しつつ、3人(実際はマネージャらしき人と合わせて4人)で
黙々とエスカレーターを上っていくという、このしみじみとした空気を味わいました。

結局そのまま、最上階のクラシック売り場に来てしまい、彼らはスタッフと待ち合わせをしていたようで、
ありがちなwelcomeといった面持ちで握手とかしていました。たしか映画かなんかを撮ったんでしたか、そのプロモ関連ですよね。

私はそんな中、例えば「ファンですよ〜」などとミーハー的なアプローチをわざわざ試みるまでも無く、
さて、モーツアルトの新譜は出てたかな?といった適当な塩梅でCD棚を適当にウロウロした後、早々と階下へ降りました。
この行動もまた、我々お互い大人になりましたよね?ねえデーブ?とでも言わずもがなな空気のひとつかなと、尚更しみじみしました。
では、今日の話はこのへんで。またお会いしましょう。
皆様ご自愛くださいませ。


[返信]

 あざとい
157   2014/11/03(Mon) 23:23
wata流  

逝去といえば、DJ KAGAMIさんが亡くなっていたのを本日知りました。
吉川晃司のベストを最近よく聴いているのですが、juicy jungleが DISCO K2 TWINS名義なので、
最近何やってんのかなーって調べたら。
若くして。儚いですね。合掌。

KEYTALKのMONSTER DANCEが、とってもあざとい。いい意味でも悪い意味でも。
あざといって、漢字変換されないからなんか間違ってんじゃないのって思う。
そもそも35年間ぐらい、あらがう、を、あがらう、と覚えてた男だ。
変換されないから、抗戦、ってうってから戦を消してたんだよ。
怖いわ。
もう調べない。
あざとい、が違っていたって構うものかよ。
いや、あが!ってほうがレジスタンスな感じでしょうが。
あら!って、サザエさんじゃあるまいし。
うーん、でも勝ち目ないね。抗いようがない。

先々週子供が生まれました。第二子です。上の子とは結構離れていますけれども。
その翌日に40歳になりました。幸せは途切れながらも、続くのです。
なんというか、仕事以外、私生活は無駄なものが削ぎ落とされていきます。
そうでもないか。
どうなんだろう。
なんとなくそう思っただけで。
うーん、どら焼きをメインにあんこ製品を連日食べているのは、削ぎ落とされて残った、深遠なる儀式なのだろうか。
オフスプは日本ではとっくにオワコン(死語)なんでしょうが、最新アルバムなんてむしろ始まってんじゃん、
とかわざわざ書きたくなるってことは、
結局本質的には何も変わってないじゃないか、と、少し安心するところでもあります。
で、30歳になっちゃった、40歳を迎えました、ってなんとなくギリお茶目なんですが、
ついに50歳になりました、だとなかなか来たるべき世界って感じしますね。やあ坊さんは、あとどんなもんでしたでしょうか。
60歳、かぁ。面白いね。

ごりぞうさん、ラーメンの話はうっすらと、薄氷の如く記憶にあります。あおたけわってへこにかく ばってん ラーメン
の話とかの類でしたかね。
かばった?ほうは何のことやら。まぁ、その場を取り繕う能力には長けているので
善人ぶってただけだと思いますよ、あはは(笑)
チャットは楽しかったですよね。いい思い出です。思い出迷子。

そういえば、部下の披露宴であいさつを頼まれたんです。
さすがに厭世の感はある。
やっぱり入りは「スピーチとスカートは短いほうがいい」なんすかね。軽くセクハラ入ってるのでダメか。
そんなねぇ、何をしゃべれと。
うすら寒い笑いをとりにいくか、マジメぶってええかっこするか。
どちらも達成せずグダグダになるか。
もうヤダw


[返信]

 世界の終わりはハードボイルドだど
156   2014/11/01(Sat) 19:54
やあ坊  

タイトルに意味はありません。
ただ、ラジオで流れた「世界の終わり」というバンドの新曲を聴いて
声とメロディーはいいなと思いました。
でもこのバンドをネットで検索すると賛否両論というか
好きな人はディープに好きで嫌いは人はとことん嫌いという感じ。
その「とことん嫌う人」が多いものって結局人気が出ちゃうから
そのアンチくんたちは「ぐぬぬ」となってしまうんですよね。

じゃあ僕がこのバンドを好きになるかといえばそうでもなくて
僕のようなおやじがこういうのを聴くのは若者に迎合するようで
それはそれでよくないので僕は昔の音楽をまったり聴きます。
とは言ってもJブルース哀悼でクリームを聴くわけではありません。

#ごりぞうさま。おひさしぶりでございます。ようこそ。
で、お祝いのお言葉ありがとうございます。
チャットは懐かしいですね。その時のやりとりは申し訳ないけど
憶えてません、すみません。
今もこんな感じでやってますのでよろしくお願いします。


[返信]

 10年ぶりの
155   2014/10/23(Thu) 02:07
ごりぞう  

十年前位に大友良英が出てたライブ見に行ったけど、何てバンドやったっけ……から始まった今日のインターネット探訪。

大友良英じゃなくて、山本精一だった事実。
なんだなんだ。羅針盤のライブでした。

当日の正確な日付を探るべくさらに探訪。

そこで知る羅針盤ドラムのチャイナ逝去の事実。
スーパージャンキーモンキーの睦美死去同様、
10年以上経って訪れるショック。
すごく好きになったドラマーでした。
今からでもいいでしょうか。心から冥福をお祈りします。

で、日付。どうやら、2002年だったとのこと。
日付を確認したのが、このサイト。
の、ta佳co管理のROVO周辺板。

超懐かしい。
当時、チャットがあって、夜な夜な文字を打ち込んでた。
ごりぞうなどという、全く以て無意味なハンドルネームを使って。

そこにはたまにwataさんがいて、大学が福岡だったらしく、福岡の話になったときに「とっぱちからくさやんつきラーメン」のCMについて話したことを思い出した。

当時、そのチャットに自己卑下がすごい人がいて、一度誤解が原因でその人をものすごく怒らせてしまって、誤解だよう、悲しいよう、ごめんなさいと思っても相手はますます怒る一方でしょげていたら、wataさんが的確な例えでかばってくれたのでした。

やあ坊さんともそこで一度接触したことがあるけど、
尋問のような確認をされて、すぐに出て行かれたことを思い出します。

そんな関係の私が言うのもなんですが、
やあ坊さん、ご結婚おめでとうございます。


[返信]

 お久しぶりです。
154   2014/10/19(Sun) 15:02
やあ坊  

更新さぼってごめんなさい。先週台風通過直後の14日にささやかな
挙式をやりました。当人と親だけです。歳とってからの結婚なので
超地味にやりました。
が、まだ籍は入れてません。というのも先日健康診断でちょっと
ひっかかってしまい再検査をすることになり入籍はそれが済んでから
ということになりました。
私が病気だったら果たして入籍するのかどうかはわかりませんが
まぁたぶん大丈夫でしょう。

#こんど電グルがMステに出るというのをニュースで見ました。
それがニュースバリューとしてどうなのかはわかりません。

#秋ですね。秋は音楽が心に染みる季節ですね。
昨年の今頃はブッチャーズが心に染みました。
また聴きたくなりました。では。


[返信]

 頭打ち
153   2014/09/27(Sat) 15:20
いち3   <ichisanro@outlook.com>

頭を打ちました。頭というか、コメカミの前のあたりだから、顔面側部に近いです。
先日、ちょっと良さげなデスクライトを買いました。
就寝時に、枕元でホイっと随時点灯できるようなライト、という目的で、さてどこに置くかということで。
私が寝てる場所のすぐ横に、デスク(所謂ライティングビューロー、開きっぱなし)があるんですが、
その上にホイっと置くと、おお、光量もいい塩梅で、寝ながら手も届くよね、という事で、そこに置いて寝ました。
で、寝て3時間後ぐらいに、バコっと、顔面側部を金属バットで殴られたような、すごい痛みが走りました。
デスクライトが落下直撃してました。

なんで落ちたのか。究明にさほど時間はかかりませんでした。
枕元にあるコンセントから、電源コードが延びているわけですが、
自分が寝返りをうっているうちに、電源コードを身体に絡めて引っ張って落とした、というカラクリでした。
さっき某尼損で再確認したら、重量700gもあるんですね。小さいのに案外重いですね。痛いに決まってますよね。
コメカミのあたりに打撲痕があって、まだ痛いです。なんで私は、こんな人生なんでしょうか。

事あるごとに、気にはなるんですが、
19歳ぐらいの頃に、とある占い師に「この人は首から上の病ばっかり起こるね」と言われた事があります。
なんかほんと、その通りな感じで嫌です。(ちなみにその占い師には直接会ってません。人伝いの占いです)

5歳の頃から2回ほど落下したりとかで、すでに鼻の骨を折っています。まあそれも原因かと思いますが、
耳鼻科系手術経験も複数回で、まあいろんな療法を試し、良好にはなってきた昨今ですが。
その他にも何かと顔面に損傷するケースが多かったので、今でもたまに、初対面の人に、元ボクサーですか?などと
顔で判断な問いかけをされたりするレベルです。まあなんというか心身ともにボロボロ感があります。

そして、さっき述べた、寝てる場所のすぐ横にあるライティングビューローなんですが、
これが30年以上前に購入されたやつでして、私が子供の頃に蹴飛ばしたりしてできた割れ傷などを
動物のかわいいシールで隠すという、昭和らしい修正跡も残る、その手の家具のひとつなわけですが、
もうグラグラというか、明らかに歪んでいて、何時崩れるか心配ではあります。
地震等で崩れたら、やはり私の頭部を損壊させるという結末になるんでしょうか。
母親にこの予想を述べると、それは危ない、さっさと処分して買い換えるなりしろという反面、その次にはもう、
この机を買った時代の思い出話、買った経緯などを話だして、ようは「捨てるに忍びない」的な、
つまり勿体無いという主張を始めるので、私としてはイマイチ決断行動し難いまま、不安な寝床を継続しています。
まあ私の人生の縮図のようでもありますね。この構造。

名も知らないどこかの占い師が予言した通りの人生となるんでしょうか。それは困りますね。
そうですね一度、パワースポットの井戸とか湖か滝的なものに、頭部でも漬けて来ましょうかね。お祓い代わりに。


さて今日の1曲ですが。スコットランドの独立投票がありましたね、それでなんかふと思い出して、
この所The Smithsばかり聴いてました。ソロ以降のモリッシーの動向はあまり知らないんですが、
彼なら独立について、どちらにも神は舞い降りないよ的な、さすがだな的な皮肉でも飛ばしてるのかな、
と思ってググってみたら、普通に独立賛成派でしたね。king-dumbね、なるほどね、ぐらいの軽い皮肉で。
まあいずれにしろSmithsは、久々に聴きまくるにも堪え得る、すばらしいものですね。極イギリス的ですね。
そういえば昔ROに「極イギリス的」という表現があったのを、いまだに思い出して微笑みます。
このような紛らわしくも、発生したニュアンスが捨て難いような表現大好きです。いわば「黄金」ですよね。 
The Smiths - What She Said(たぶん最もパンクぽい曲調なのでこれで。URLは各自ググル任せ省略で)
ふぅ、間が空いてしまいましたが、久々に書けました。では。


[返信]

 ロックギターについて
152   2014/09/04(Thu) 02:35
いち3   <ichisanro@outlook.com>

かつて私の近い人に、ロックギターを弾く人がいました。仮に以下「師匠」と呼びます。

彼は、云ってみれば極めて「簡素」に、ギターを弾いていました。
例えば、一般的なマイナーコード等なんか押さえて弾いた事が無くて、メジャーはどうかというと、
人差し指と薬指だけでべたっと押さえる、最も簡単なバレーコードってあるじゃないですか。
パワーコードの延長みたいな。Cだったら5弦ルートから3555みたいな。あればかり弾いていました。
で、彼はその押さえ方を6弦ルートにもそのまま適用するので、6弦ルートのコードが全部sus4になっていました。
(例えば、Gメジャーを弾こうとして、6弦ルートから3555と押さえてしまう。これはGsus4です。
ちなみに、4弦ルートでこの押さえ方だと、メジャーセブンスですね。面白いですよね)
自由とはいえ、これはかなり乱暴だと、いつも思っていました。3度や7度、コードの基礎を無視したようで。
たまに指摘すると「そんな小手先にこだわる奴はアホなんや」と、いつも取り合ってもらえない感じでした。
でもそんな弾き方でも、曲とかを作ってきて披露するし、音楽趣味は良質なので、そういう意味では師匠なので、
単なる正確性を疑うのは止めて一転、師匠には何か超越したものがあるのだな、それがロックの本質なんだろう、
テクや理論なんか学んだら負けなんやね、という思いを、ある意味そこから培ってきました。

実際「小指が使えないから」とは言ってましたが。その現実的な不可避性は自覚しているということなんですが、
「小指が使えないからまともに弾けないけど、誰よりも好きな事には揺ぎ無いし、それが何か?」という
意思なんだと解釈しました。
こんな意思というものは、どこに霧散していくのか、そして自分自身は一応小指は使えるにも拘らず、
人生のドメスティックな都合上、そっちを信奉してしまった私の記憶も、どこに霧散していくのか、
あるいは全く意味がないのか、たまに振り返ってしみじみします。

もう少し掘り下げてみました。
利口な諸兄なら、こう思うでしょう、
「小指が使えないなら普通の所謂パワーコード(2つの弦だけで)でルート5度だけで弾けばいいじゃん」と。
確かにそうですね。でもそうじゃないんですよね。いわば、これは抵抗、反逆、戦いなんですよね。
5弦ルートと6弦ルートで同じフォームで弾けない、こんなもんはギターの一方的な都合であって、
「俺」には関係ないわけです。そもそもテクニカル演奏を信奉しているわけでもなく、むしろアンチであるし、
ギターの一方的な都合自体は糞面白くもなんでもなく、「俺」の好きなロックとは関係ないわけで、
6弦ルートで「いらない音」が鳴るのか知らないが、だったらそれを無視すればオールOKだろうという
そういう哲学が生まれると思います。

そもそもロックギターなるもの、アンプで音を歪ませ増幅させるほど、余計な音をミュートするという作業に、
つねに気を配らなければならない構造になっています。これは、ある意味性急に、鳴らしたい音を鳴らしきるべき、
ロックギターの存在イメージとは相反するものなはずです。いずれこの「存在矛盾」から解放されるべきであるという、
本来なら誰もが持つべきこの欲望を、この事例は明確に表している、とも云えます。

さらに、利口な諸兄なら、こう思うでしょう、
「そういう哲学でいくと、最終的にはノイズ音楽ですよね」と。
確かにそうですね。でもそういうジャンルでいっちゃうと、もう科学者とか学者、権威風情なんですよ。
彼はこうもよく云ってました「科学者(風情)になったら終わりや」と。
あくまで調性的で、コマーシャルで明快な「よくあるギターロック」を望まねばならないんですよ。
現代音楽まがいの理論武装風情は、糞面白くもなんでもなく、「俺」の好きなロックとは関係ないわけで、
それは駄目なんですよ。あくまで「よくあるギターロック」を「俺」もやってやろうとして、
そこで、例えばギターが上手く弾けない等による広義の「失敗」が諸処あり、だがそれは
「俺」がやっているんだから必然的に失敗もあるだろう、そもそも「やる」事自体が
大いなる失敗なのかもしれんがそれが何だ?というのが本質なのであって
それを失ったら無意味になるんだ、だからこう弾くんだ、だからあのコマーシャルなヒーローの真似をして、
あくまでカッコ良く、ギターをじゃらーんとかき鳴らすんだ、そっちが前提で、そして全てなんだ、という、
そういう哲学も生まれると思います。

一言だけ言わせてください。「青くて良いですよね」

しかし今どき巷では「普通にギターが巧い」バンドばかりで。何事も正攻法から学び易い時代になったからですね。
だからといって、今どきのバンドに「もっと無知に乱暴にやれ」などと、退化的な要求はとても云えませぬ。
だからこそ、こんな「哲学」は、このまま霧散していくのではないかと、ふと思ったりするのです。


さて今日の1曲ですが、こういう話で選ぶなら、まあARTO LINDSAY だろうなということにしただけですが、
「理論を学ばないままどこまでいけるかやってみた」とのことで弾いてますが、まあ単純にスタイリッシュで
カッコイイですよねこの人は。ちょっとカッコ良すぎますね。なので今回の話のイメージとしても違うんですよね。
Ambitious Lovers Lust

そういえば、運指の問題で弾けないんだったらオープンチューニングとかにすれば? とも言ってみたけど
それも聞き入れられなかったですね。調弦もひとつの「科学」の範疇になってしまうからですかね。
というか、例えばストーンズ等が好きでも、変則チューニングをメインに使う人が、日本では比較的少ないですよね。
これって多分、日本的な何か、の問題だと思うんですよね。設定において標準性を重んじるというかですね。
そこを崩すと不安というか。なので設定では標準性を崩さずに、結果として崩れる、失敗するならば、
それが「正しい(日本的な)失敗の仕方」だと思うんですよね。いろんな分野においても。
そして、失敗を修復するために、さらなる「標準」を欲する感じ。これもまた「正しい(日本的な)循環」のようで。
これが良いのか悪いのか、今後発展性があるのかも分かりませんが。多分そこまでグローバリストには成れません。では。


[返信]

 残暑
151   2014/08/22(Fri) 02:46
いち3   <ichisanro@outlook.com>

さて、蝉もそろそろ鳴き止みがち、鳴き疲れ飛び疲れたままに路上に散り落ち、
或る者は車輪の下敷きとなり、或る者はそのまま干からびて腹を見せる、
そんな亡骸を通りすがりに眺めては、世の無常感を投影してしみじみとする、
そんな折、いかがお過ごしでしょうか。

私は、先週までには、「戦争」に関連する話を書こうと以前から目論んでいたんですが、
いろいろ考えているうちに、見事に詰まってしまいました。

まず最初から靖国神社を絡めた内容なので漠然と「おこがましい」ような気がするのと、
そこに付随する例の、よくある右ウィング、左ウィングのどちら側に拠るか、的な云わば
簡素化された対立議論は基本的には回避するに決まっているんですが、どう回避するかとか、
まるで大手マスメディア各社の年中行事のように、終戦記念日前後に合わせて記事的に語るのは、
どうも違うよな、と逆を張りたがる流儀もひとつの言い訳にしているうちに、

エボラとかシリアとか土砂とか、新たな報道も立て続けにあり、それなりに気を取られたり、
それでも予定を曲げず回り続ける夏のフェスとかイベント情報とか(行ってませんが)、
各種スポーツ観戦とか、単純な避暑的行動とか、アイスバケツチャレンジの連鎖構造とか、
それらとは全く関連しない、普段の研究関係の論議、いわゆる雑多な学習とか、
個人的な親族関係のいろんな展開とか、他にもそれなりに気を取られたりしているうちに、
見送るような感じになっております。

ふと考えてみれば、終戦記念日はなぜ夏であり、且つ「お盆期間」とほぼ同時なのか。
このように、各家庭でのお盆的な行事と「込み」として簡略的でもいいから終戦を思おう、
いずれにせよ、夏なりの慌しさに揉まれつつ、忙殺黙殺、とまではいかないまでも、
あまり個人的に深くは受け止めないのが妥当であり、思いあぐねないようにしよう、
しかし、わざわざそう教示するにはやはり事が荒立つので、庶民万人は自然とそうなるように
敢えてこの日に終戦したのだ、という「策」があったのでは、とさえ勘繰ってしまいますね。

では逆に、夏の暑さにも耐えかねて、慌しさに揉まるまでもなく全てをキャンセルし、
ひとり部屋に篭っている状況だとすれば、そんな奴はむしろ終戦についてぐらいは深く考えて、
なにか再生のヒントに繋げろ、って事でしょうか。なんというか世の中はうまくできていますね。
まあ実際は(今どきは)そこまで真正直にはいかないわけなので、どうでもいい事でしょうが。

まあ、投稿には煮詰まって(誤用)はいますが、内容的には煮詰まっていますので
そろそろいいかな、と思ったときに本文を書いてみます。
けだし些か期間が空き過ぎましたので、近況ご連絡的な意味合いで書きました。

さて今日の一曲ですが、プーランク「メランコリー」でございます。
ロックとかその手のがピンと来なかったので、1940作と相俟ってこれにしただけですが、
これは「戦争はもう嫌だ」という思いで作られた曲ですね。
印象派の応用なようで、確かな主張も無いようで、そこに留まらない理由は、戦争が嫌だからです。
そんな記述は何処にもないんでしょうが、私には分かるんです。では。


#やあ坊さま。修正等ありがとうございます。iPadはちょっと欲しいですね。
私がMacユーザーなんて早く辞めたいと思っていた頃は、iPodすらまだ有りませんでしたとさ。


[返信]

 夏の記録。
150   2014/08/13(Wed) 16:30
やあ坊  

毎度。
さっきipadを購入しました。私のネット生活で初めてのアップル。
ipodすら購入したことなかったし。でもこれは私が使うのではなく
親に買ってあげたのです(親孝行)。私が家を出るにあたりPCを
持って出るので代わりにと買ってあげました。今からまず私が
使い方を覚えてから親に教えます。ちなみに私はスマホ童貞でもあります。
親も高齢なのでもし使わないようでしたら後日強奪する予定。

#最近は事件が多い。言及しようかと思うと次の事件が起こります。
順不同で書きますと
・台風
・笹井さん自殺
・春日部共栄勝利
・長崎JK殺人事件
・朝日新聞
・個人的ですが結婚準備
・兄の転勤
・エボラ
・飛行機墜落
・空爆
・号泣議員
・みぽりん離婚

なんか忙しい。忙しいぞ。


[返信]

 あら
149   2014/08/13(Wed) 13:12
やあ坊  

カウンタは不安定だな、まあいいや。

[返信]

 取り急ぎ
148   2014/08/13(Wed) 13:10
やあ坊  

壊れてた部分を直しました。ページ最下段にご自身の書き込みの削除
フォームを復活しました。手直しする場合はコピーを保存の上
削除してください。
ていうかカウンターもなぜか復活したしスパムも来なくなった。

わーい。


[返信]

 前回の続きなど
147   2014/08/05(Tue) 13:58
いち3   <ichisanro@outlook.com>

なんというか、前回のように事件を通して、自分の過去を回想するのは、
自分が各経験に対して大人になった、からこそ落ち着いてできるのかもしれませんが。
やはり人間というのは多かれ少なかれ反発性、闘争性のようなものがあって(残っていて)、
それに伴う広義の「行動」により、瞬時に劇的な変化を求めるという脱思考手順といいますか、
今回のような事件報道により、ある人は自己なりに経験を振り返って重ね合わせてみたり、
そんな思考をしているうちに、誘発されるというか触発されるというか、
瞬間的にコントロールが利かなくなるというか。そういうのはあると思います。
簡単に云うと、思考につられて、無意識に奇行をやってしまう、という感じでしょうか。
ちなみに私の場合、前回書いてから、さらに事件の続報ニュース等を観ながら考えたりしているうちに、
大事な書類を何故か破いてしまい、しばし後悔する事態になりました。

だからこそ今回のような事件は、なかなか要因が解明されないのだろうなと思います。
至極簡単に言えば誰しも、社会性を保つためには考えたくない、おのずと避ける、という内容ゆえですね。
ここまでくればもう、そのような性質に先天的に生まれ持った者は、或いは後天的であろうとも曖昧で、
加害側であろうとそれなりに背負うものがあるのだろうし、ただそこにあってしまった不幸、
としか解釈しようがありませんね。いわゆる断罪性とは全く別の思考ですが。


#VHSさま。いろいろ自分とシンクロしたエピソードを読ませてもらって、
正直嬉しいような気持ちになりました。不思議なもんですね。
私もなにせ男子寮でしたから、性的虐待的なトラブルは時折ありました。時折あったにも係らず、
暴力に比べればマシだという感覚があったせいか、何故かそっちについてのトラウマ度は低いんですね。
自分の性格のおかげで浅く解釈されたのか、環境のせいか、いまだに要因はよく分からないんですがね。
完全にそっち目的で、気に入った生徒を次々手にかけ暗躍していた教師を、有志で現場を押さえて退職させる、
などという、今どきなら普通に事件化してそうなエピソードもありました。

それにしても、残念ながら私もヘテロですね。「残念ながら」と書けるのは、特に最近つくづく、
ヘテロ以外であるほうが人間交流欲求にもっと広く、深い意味を見出せるような気がしてならない
と、ある意味羨ましいからですね。後、理髪店等で、そっちぽい人が丁寧だと、妙に嬉しくなってしまいます。

結婚の件も、非常に共感できます。
私の場合は、下半身の赴くままに生きていたのは祖父で、直接には幼少時しか関わってないけれど、
現実として、私と家族の、その後の人生設定をほぼ決められてしまった感じです。これは説明すると、
かなり長くて、エピソードの百貨店みたいになってしまうので、ここでは省きますが、ひとつだけ語れば、
私は幼少時その祖父と顔がそっくりで、会話のネタになるので、散々営業等に連れ回されたそうです。
でもすぐ決別するのだから、その経緯は推し量れるものもあるのでは、という感じでしょうか。

それでも、私が結婚とか無理だと思う一番の理由は、やっぱり身体問題ですかね。
自分の持病が遺伝したら子が不憫だし、幸い遺伝しなくても、どう説明すればいいのか分からないとか。


などと書いているうちに、ニュースではSTAP笹井氏が自殺。
STAP騒動も、そっち方向までいってしまうともう、どうなるのやら。本当に今年は、いろいろありますね…
何も無ければ、そろそろ固まってきたレッドツェッペリン論を書こうと思っていた矢先だったんですがね…w


さて今日の1曲ですが、今回もまたリフレッシュ系という感じで、Gilbert O'Sullivan - Mr Moody's Gardenです。

先日、この人の初期作をざーっと一通り聞いて、まあまあ気に入っていました。
アローンアゲインとクレアという有名曲の印象にて、ソフトAORというかあっち系メロディーの始祖的な扱いと
だけで片付けるのは勿体無いなあと思いました。これなんて、ゴードンミルズProdのコーティング色のまだ無い
唯一の初期曲でしょうか、まだ商売っ気の無い素な感じが良いですね。ちなみにintro outroという小品も良いです。


[返信]

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